平成最後の夏 記憶の継承 それぞれの活動=3=

平成最後の夏 記憶の継承 それぞれの活動=3=

14年度から始まった聞き書きサークル活動。その結果を毎年度まとめた冊子4冊

 
地域を学ぶ聞き書き調査
北高サークル 戦時中、戦後の体験談も

 奄美市笠利町中金久にある大島北高校は、2014(平成26)年度から「聞き書きサークル活動」をスタートさせた。奄美市魅力ある学校づくり支援事業に、「シマ(集落)の宝」学習講座が採用され、聞き書き調査活動を始めた。当初の指導者は同高校卒業生で考古学者の中山清美氏(故人)=元奄美博物館長=。高校生が地域の長老や名人の自宅、仕事場を訪問し、昔のいろんな話を聞き書きして地元を見つめ直す取り組みで、聞き書きノート(冊子)や映像にまとめて残してきた。足元の宝を活かす「地元学」の一環と位置付けている。その聞き書きの中の一部だが、戦時中を生きた高齢者の体験談、目撃談も含まれている。

 調査への参加生徒は毎年度募集し、多い年度は1~3年生18人が参加。活動内容は冊子にまとめた。それによると、聞き取り調査した地域住民人数は▽14年度 里集落9人、中金久4人、外金久4人の合計17人▽15年度 赤木名地区10人、大笠利地区3人の合計13人▽16年度 笠利地区6人、佐仁地区6人、赤木名地区3人の合計15人▽17年度 外金久集落5人、中金久集落5人、里集落2人、打田原集落2人、手花部集落1人の合計15人▽18年度

 町内6地区の対象者と福祉施設入所者を合わせて12人。

 戦時中や戦後の体験談などを見ると、「はぁー、やっぱり戦争の時の防空壕の中でいるときがとても怖かった。怖い。今でもやっぱり防空壕を見たら戦争のことを思い出すよ。それと飛行機の音は怖かった」「あの頃は戦争中だから山で住んでいたから田んぼや畑(作業)をしていたよ。飛行機が来るときは木に隠れて、月夜の晩は夜間作業していた。ハブも怖かったが、それどころではなかったね。田んぼで隠れながら作って食べていたターマンの味も懐かしいね。今は本当にぜいたくだね。ぜいたくすぎじゃが」。

 「赤木名に爆弾が投下され、49名が亡くなった。その後、中学校卒業しても何回も空襲があった。防空壕に逃げているところを見られて、次は防空壕が狙われた。防空壕の中や道にはたくさんの遺体があった。その中に親戚の姿もあり、親戚の奥さんもいた。亡くなった方はみんな赤木名で埋葬した。死体の臭いが酷かった」「戦争中の防空壕の中での生活が大変つらかった。7、8人で5~6カ月川上の近くの防空壕に逃げて生活し、不安で夜は寝れなかった」

 「(苦しかったことは)戦後すぐのころ、食べ物がなかったこと。きつかったね」「戦後、アメリカに占領されて食料もなく、働き口もなくなり、日本に行くためにはパスポートが必要になった。戦後2年間が一番つらかった」「戦後、裸足で学校に通った」

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 聞き書きノートには関わった生徒・職員の感想も記されている。活動には大学関係者も多く加わった。昔の各地域の生活が垣間見えるノートは今後、いろんな場面で活用できそうだ。