多数弔問し別れ惜しむ

多くの参列者が最後の別れを惜しんだ1日の通夜


2日の告別式で情感を込めて献奏する、アントニオ古賀さん

与論出身・元東京奄美会会長 佐藤持久氏葬儀

 【東京】与論町栄誉町民の故佐藤持久氏(享年87歳)の通夜祭(通夜)、葬場祭(告別式)が1日と2日、東京・青山葬儀所で妻・文子さんを喪主に、前衆院議員で元法務大臣の保岡興治氏を葬儀委員長にしめやかに営まれた。三陽電設㈱の創業社長で、元東京奄美会会長、元全国与論会会長、公益社団法人三州倶楽部名誉会員、奄美観光大使、薩摩大使、奄美新聞前身の大島新聞社取締役など生前に幅広く活動していた故人の人脈から、山元宗与論町長、金子万寿夫衆院議員、公益社団法人三州倶楽部・本田勝彦会長ら政財界を含め友人、知人が降りしきる雨の中、全国から多数弔問に訪れ、最後の別れを惜しんだ。

 通夜が営まれた翌日の告別式では、竜笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)、笙(しょう)の雅楽合奏の中、遺族や友人ら多数の参列者が、故人の冥福を祈り祭壇に御玉串を奉納。回廊には、その参列者を迎えるように、第18代東京奄美会会長として奄美の全市町村を表敬訪問した時のアルバムや、与論町民栄誉賞受賞関連の写真などが飾られていた。ナレーションで60年以上にわたり故郷の発展に、また若者の人材育成に尽力した故人の業績が紹介されると、涙を流して故人をしのぶ参列者の姿が多く見られた。

葬儀委員長の保岡氏は弔辞で、「持久兄ぃが東京奄美会会長として、故郷のために頑張り、常にみんなの先頭に立ってくれた。まだまだ長生きして元気で活動してほしかった。これからは、与論島の澄んだ夜空に輝く南十字星のごとく導いてほしい」と遺影に向かって哀悼の意を表した。地元を代表して弔辞を読んだ南政吾前与論町長は、故人との個人的な交流の思い出をしのび、町の教育活動に対する多大な貢献に感謝の意を伝えた。

 歌手でギタリストのアントニオ古賀さんは、ギターで「月の砂漠」を弾いた後、「影を慕いて」を情感込めて歌い、献奏した。ギターの音色と歌声が式場に響き渡ると、多くの参列者が故人をしのんで涙した。副葬儀委員長を務めた英辰次郎前東京奄美会会長が、式の終わりに会葬の謝辞を述べた後、故人が生前お気に入りだった「与論島慕情」の曲が流れる中、参列者全員で出棺を見送った。