参加者は一村の遺影を前に、パリ展示を祝し献杯を挙げた
孤高の画家・田中一村の命日にあたる11日、1977年に69歳で亡くなった一村をしのぶ「一村忌」(一村会主催・美佐恒七会長)を奄美市名瀬有屋の一村終焉家屋で開いた。愛好者など約15人が参加し没後41年を迎えた一村をしのんだほか、今年のパリ展示を祝し、奄美から世界に踏み出した一村作品の新たな功績に献杯を挙げた。
田中一村は、1908(明治41)年生まれ。中央画壇に背を向けて本土を離れ、スケッチ旅行を転機に58年に来島。奄美の自然や生物などを画題に、力強く繊細な花鳥画を描き、この地で独自の画風を確立した。
また、生誕110年にあたる今年は、作品がフランスのパリで展示されるなど、その実力は世界でも脚光。絵師で同会・岬眞晃事務局長は「一村は常々『50年は(自身の)絵を認める人は現れない』と話していた。生き様ばかりが焦点になりがちだが、芸術性や画力に対する本質的なことに、ようやく時代も追いついてきた」と節目の年を喜んだ。
一村忌では、床の間に置かれた遺影を前に一人一人がソテツの葉を供えて黙とう。参列者は、島唄が流れるなか冥福を祈って手を合わせた。
美佐会長は「一村を通していろいろな人との交流が膨らんだ。(奄美パーク・田中一村記念)美術館の開館やパリへの進出など、会が目指してきたものも実現しつつある」と長年の活動に目を細めあいさつ。同館・原之園丈二次長兼総務課長も「今年は海外に渡り、日本各地での展示やテレビ特集なども予定。一村の思いをしっかり伝えていきたい」とさらなる躍進に向けて言葉を添えた。
この後一同は、パリ展覧会の報告などを酒の肴に一村談話。お気に入りの作品や在りし日のエピソードなどにも思いを馳せ、心ゆくまで語り合った。