疎開船「武州丸」慰霊の夕べ

「平和の誓い」を朗読アピールした東天城中1年生たち=22日夕、徳之島町亀徳

中学生ら「平和の誓い」アピール
徳之島町亀徳

 【徳之島】太平洋戦争末期の1944(昭和19)年9月25日、鹿児島に向けて航行中に十島村中之島沖で米軍潜水艦に撃沈され、徳之島町内の疎開者148人が犠牲となった疎開船「武州丸」の悲劇から74年。武州丸と平和を考える会(幸多勝弘代表)主催の「武州丸慰霊の夕べ」が22日夕、今年も同町亀徳の慰霊碑前であった。

 武州丸は、旧日本軍徳之島守備隊の要請や県知事の疎開勧奨で徳之島町亀徳、井之川、山、尾母地区の幼児学童・女性・高齢者ら計152人を乗せて瀬戸内町古仁屋港を出港。だが同日午後9時ごろ、米軍潜水艦の魚雷攻撃で轟沈。148人もの尊い命が犠牲となった。終戦まで機密扱いされ、今なお一切の戦災補償は閉ざされたままとなっている。
 
 慰霊の夕べには遺族関係者や東天城中1年生6人など約50人が参加。まず、慰霊碑に花や線香を手向けて合掌し犠牲者たちの冥福を祈った。

 武州丸と平和を考える会の幸多代表(67)=同町亀津=はあいさつで、遺族の高齢化で遺族会の解散が続く全国の例や、武州丸慰霊の夕べの開催経緯も説明。「戦争体験がなくても、戦争で子どもたちや女性、高齢者たちが恐怖の中で死んでいったことを聞いて、語り継ぐことはできる。過去の戦争から目をそらすことなく、二度と戦場に若者を送らないため平和を願い、戦争で犠牲になった人々に思いをはせることが必要」。

 昨年までメッセージを寄せていた武州丸元乗組員(操舵手)で生存者の1人だった澤津橋務さん(93)=南九州市=が5月に死去したことも報告。自作の長編紙芝居「武州丸からのメッセージ」も披露した。

 東天城中1年生6人は平和の誓いで、「遠くの事だと思っていた戦争がこんなにも身近であったことを知り、悲しい気持ちでいっぱいに」「このような悲しいことが二度と起きないよう伝えていくことが大事」。①平和に生き抜く②生きとし生けるものを尊重③21世紀の若者として平和な世界をつくります(要旨)―をアピールした。