佐藤持久さんを偲び、与論町翔励会の田中國重会長(祭壇左側)が献吟した=与論町=
郷土の発展、青少年育成尽力
【沖永良部】8月24日に86歳で死去した与論町栄誉町民、佐藤持久さんのお別れ会(同実行委員会主催)が10日、与論町セレモニーホール「てぃんとぅ」であった。町民約200人が参列し、別れを惜しんだ。
佐藤さんは、1963年に(有)奄美通信社を設立、66年に三陽電設(株)に組織変更して代表取締役社長に就任。78年には(株)創健を設立し取締役に就任した。事業経営の傍ら東京与論会や東京奄美会などの会長も務め、郷土の発展と青少年の育成に尽力。2009年に同町栄誉町民賞が贈られた。
会では、佐藤さんの好きな曲が流れる中、思い出の写真をスライドで紹介。山元宗町長は、親しみを込めて「持久ヤカ(方言で『兄さん』の意味)」と呼び掛け、「先輩の卓越した識見と豪気にして闊達=かったつ=なうちにも、慈愛に満ちた人柄は町民の敬愛の的だった。先輩の期待と熱意に応えられるよう町民一丸となって町の発展に邁進していく」と別れの言葉を述べた。
会の実行委員長で同町翔励会の田中國重会長は、佐藤さんの口癖だった言葉「与論と聞けば血が騒ぐ」を入れた詩を作り献吟、在りし日の姿を偲んだ。
遺族を代表して妻の文子さんは「主人が亡くなって初めて、私たちも知らなかったことを思い知ることができた。主人の尊敬する点は、与論一の親孝行息子だったということ。多くの人に慕われ、愛され、恵まれた人生だった」と振り返った。