復帰記念の日のつどい

名瀬小学校の石段の上で、「断食悲願」の詩を朗読する同小学校児童

「感謝し、受け継ぎたい」
65年の節目 児童生徒ら約900人参加

 奄美群島の日本復帰(1953年12月25日)から65年目を迎えた25日、奄美市名瀬の名瀬小学校で「日本復帰記念の日のつどい」(同実行委員会主催)が開かれた。当時を知る市民や市内学校の児童、生徒など約900人が参加。団結し復帰を成し遂げた先人を偲び、語り継ぐ決意を新たにした。

 式は復帰伝承に取り組む市民団体と市で構成される実行委が開催。今年度は65年の節目の年に当たることから、参加者には缶バッジや、復帰運動の年表が記されたクリアファイルが配布された。

 式では、先頭に立って復帰運動を率いた泉芳朗氏や、運動に熱を注いだ先人たちに向け、団体代表者や児童生徒らが献花。その後「日本復帰の歌」を斉唱した。主催を代表して登壇した朝山毅市長は、あいさつの中で先人への敬意を表し、「奄美の発展した姿は先人たちが連綿と積み重ねてきた努力の結果。その歴史はこれからも確実に後世へと語り継がなければならない」と述べた。

 続く「子どもたちに伝える話」では、復帰前に九州本土に密航した経験を持つ奥山恒満さん(89)が講演。ソテツ粥を食べて過ごした過去や、密航先でのヤミ米の売買や逮捕されたことなど、自身の経験を語り、「みなさんのおじいさんやおばあさんが頑張った時代があるから、今の奄美があると思ってほしい」と児童生徒らに呼び掛けた。

 その後、名瀬小学校の6年生らが石段の上に立ち、参加者全員で泉芳朗氏の「断食悲願」の詩を朗読。「祖国帰心、五臓六腑の矢を放とう」と力強く唱和する声が校庭に響いた。

 感想を発表した金久中2年の喜村健太君(14)は「先人たちが命がけで活動したこと、そのおかげで自分たちが日本人として平和な世の中で生活できることを感謝し、受け継いでいきたいと思う」と訴えた。

 式の最後は「朝はあけたり」を斉唱し、万歳三唱で締めくくられた。