~歌姫~城南海物語 06=オーディション

幼さを感じさせる、童神のジャケット=ポニーキャニオンアーティスツ提供

証言者が紡ぐ奇跡の10年
歌手への覚悟固め「童神」を熱唱自らの応援と島への感謝を込めながら…

 歌手という夢への切符を手にした城南海は、それを実現させるためにオーディションに臨んだ。課題曲をこなした南海が、続いて唄ったのは古謝美佐子の「童神=わらびがみ=」だった。憧れの舞台につながるライブハウスには、制服の高校生からは想像もできない歌の世界が広がっていった。

 不安に満ちた鹿児島から東京・羽田への空路。だが2時間後には、もやもやした感情は、南海の心の中からは消えていた。故郷を奄美ブルーにたとえると、東京の印象はオレンジ色だった。騒がしさが五感を刺激したが、「悪くはない。歌手になるための条件が整っている」。タラップを降りる頃には、切り替えていたのだった。鹿児島を都会と感じた南海にとって、文字通り大都会の東京・新宿で歌手への登竜門に身を置いたが、全く臆することはなかった。「歌手になりたい。東京に来るのはこれっきりかもしれないから、一生懸命に歌おう」。覚悟は固まっていた。スカウトに関わった、河野素彦は彼女の表情を見逃さなかった。「オフの時とオンの時の目のギャップが大きい。彼女の特質は、歌ではなくて〝歌い姿〟だと思っている」と。課題曲ユリアーナ・シャノーの「もう一度教えてほしい」には、こんな歌詞がある。「つらく悲しいとき…懐かしい歌声が聞こえてくるよ」。そして自由曲で選んだ「天からの恵み受けてこの地球に生まれたる我が子…」と始まる「童神」。曲には、自らへの応援と島に育んでもらった感謝が交錯したに違いない。伸びやかな歌声は、他の地域からも自信満々で乗り込んだ出演者、立ち会った関係者を驚かせた。

 鹿児島テレビ(KTS)東京支社編成業務部の古井千佳夫は、同社が制作した「城南海~女性シンガーデビューへの軌跡~」のナレーションを担当した。そのため、幼少時やスカウトの経緯などは当然知っていた。2008年12月下旬、鹿児島市内の「キャパルボホール」でデビュー前の南海と出会っている。「ライブでデビューのことに触れた際に、感極まったようで涙ぐんでいました」。

 南海の担任・松陽高校の増森健一郎と旧知の古井は、あるときに「音楽の実力は確かだけれど、果たしてプロの世界でやっていけるのか」などと会話した記憶がある。だが、そんな〝大人の心配〟は無用だったようだ。後にポニーキャニオンアーティスツの代表取締役社長になる、関根優一もオーディションに立ち会った。「歌も良かったが、人の歌を伝える語り部なんですと話したのが強く印象に残っていますね」。2日後に海外へ修学旅行を予定していた南海は、その時点で「夢待列車」に飛び乗っていたのである。
 (高田賢一)=敬称略・毎週末掲載