奄美市で保岡氏送る会

奄美市で保岡氏送る会

関係者らの追悼の辞に感謝を述べる長男・宏武氏(左)

功績称え遺志引き継ぐ決意
長男・宏武氏「島の発展へ地元とスクラム」

 4月19日に死去した元衆院議員の保岡興治氏(元法相)を送る会が9日、奄美市の名瀬小学校体育館で行われた。国会議員や県議らを含む約700人(主催者発表)が参列。舞台上に飾られた安らかな笑顔を浮かべる保岡氏の遺影を前に、献花し弔意を表した。関係者らは46年にわたる政治生活中の数々の功績を称え、遺志を引き継ぐ追悼の辞を述べた。

 会冒頭、主催者を代表し金子万寿夫衆院議員は「強い遺志と信念は皆さんの心に刻まれているはず。勇退してもなおも続く政治への熱い思いで、病身にありながらも司法制度改革、憲法改正、奄美振興などに尽力された」などと政治姿勢を称賛。「力を合わせ、しっかりと遺志を子や孫に伝え、つないでいくことを誓いたい」と力を込めた。

 森山裕衆院議員(自民党県連会長)は、「保徳戦争」とも呼ばれた激しい選挙戦を繰り広げてきた保岡氏の経験に触れ、「1人区の選挙の厳しさを一番よく分かっておられ、選挙制度や選挙運動の在り方を決めてくださった」と感謝の念を口にした。

 増田寛也元総務大臣が保岡氏との思い出に触れつつ偲ぶ言葉を述べた後、地元から伊集院幼大島郡町村会長(大和村長)、朝山毅奄美群島広域事務組合管理者(奄美市長)、出身地でもある宇検村の元山公知村長が続けてマイクの前に立った。朝山管理者は「奄振法延長と国家予算の獲得の恩恵を受けてきた奄美群島発展は、先生のご尽力のたまもの。これからも奄美群島12市町村で力を合わせ、先生の思いと築き上げてきた礎をしっかりと引き継ぐ」と語った。

 友人代表として立ったNPO法人奄美青少年支援センター「ゆずり葉の郷」の三浦一広所長は、保岡氏が晩年、同NPOの活動に協力したことなどに涙ぐみながら感謝した。関係者らの追悼の言葉を受け、保岡氏の長男・宏武氏は「父は島の発展のため、奄美の皆さんとスクラムを組み一つ一つ取り組んできた。私に残してくれた最大の遺産は生きざまだったと思う。未来を担う子どもたちにしっかりとつないでいきたい」と語った。

 この日、祭壇には保岡氏の遺影のほか、奄美群島をかたどった装飾が飾られた。また、保岡氏が昨年度受賞した旭日大綬章受章の勲記と勲章、没後の今年5月31日に贈られた正三位の位階の勲記、祭粢料=さいしりょう=も供えられ、参列者は花を供え弔意を表した。

 保岡氏は鹿児島地裁裁判官、弁護士を経て、父・武久氏の後継で1972年に衆議院の旧奄美群島区で初当選。2000年7月に第2次森内閣で法相として初入閣。法相退任後に党の司法制度調査会最高顧問に就任するなど、司法制度改革に関して「裁判員制度」の導入にも尽力した。