夏の夢探しin首都圏~徳之島町・中高生の初インターンシップを追う~ ③

ネパールの帽子・トピをかぶり、バンスリーを演奏する田中さん

奄美二世の加藤さんが案内する海外移住資料館で

横浜以外からも青少年が訪れて交流活動が行われる桜木町の「さくらリビング」での意見交換会の様子

JICA横浜、海外移住資料館など訪問

 【東京】中高生のインターンシップ教育事業の2日目はJICA横浜を皮切りにスタート。中高生たちは初日に購入したばかりのICカード「Suica」を手に電車を乗り継ぎ、桜木町へ移動した。同所では青年海外協力隊としてネパールへ派遣された田中浩平さんが講師を担当。横浜は1887(明治20)年に日本初の近代水道による給水が始まった都市で、水道事業の先駆け。田中さんは、その技術は英国人から学び、技術が進んだ現在では、日本の水道局で学ぶ外国人が増えていることなどを紹介した。

 JICA(国際協力機構)の行っている事業はODA(政府の開発援助・税金)で行われ、開発途上国への道路や橋などのインフラ整備だけではなく、国民が一生食べていける技術協力も説明。協力するのは①人道的な理由(困っている人がいたら助ける。思いやる気持ち)②恩返し(米国は戦後、日本に10兆円無償で給食再開。日本は世界銀行からは6兆円借りて新幹線開発を行い返済済み、2011年東日本大震災における海外からの援助は1640億円)③相互援助(グローバル化が進む中での協力)とのこと。具体的にはフランスから独立したアフリカのモーリタニアでは、漁師の収入アップのため、たこ焼き用のタコの壺漁を指導、年間100億円以上の売り上げになっていることやチリのサーモン養殖事業、ネパールの和紙の材料となるミツマタの栽培・加工事業などが説明された。

 田中さんは農業・果樹指導で120の民族が住むネパールに2年間派遣された。ネパール語を学び、村の巡回や各種ミーティングの実施、組合づくり、協力隊がいなくなった後のリーダーの育成などを行ったという。「風を吹かせることによって、途上国の村が変わっていく」ことや、お互いの文化は違うのが当たり前で、「知ろうとする気持ちがあれば通じる」と話した。

 この後、海外移住資料館に移り、ボランティアで奄美二世の神奈川大学大学院・歴史民俗資料学研究科の加藤里織さんから資料館の説明を受けた。加藤さんは宇検村からブラジルなどに多くの移住者が渡っている事や、徳之島町亀津からも移住者がいることも説明。「徳之島のことは分かっていないので、誰か興味を持って勉強して欲しい」と語った。また、世界の島々をつなげる仕事をしていること、広い視野で世界を見て欲しいとも語り、「道はひとつではない。望めばいくらでもある。諦めない気持ちで頑張って」と伝えた。

 お昼前には、同資料館に首都圏の青少年たちが出迎えに来訪。近くの「みなとみらい21」まで散策して、昼食交流会を実施した。

 すぐに都会の子と打ち解け、仲良くプリクラを取る女子中高生も。中高生たちは引き続き桜木町の青少年交流・活動支援スペース「さくらリビング」に移動して交流事業が行われた。

 3グループに分かれた中高生たちは、先に徳之島の学校のことや地域のことを映像と合わせて紹介、続いて同リビングで青少年委員としてボランティア交流活動をしているメンバーから活動内容を聞いた。

 内容は「効き紅茶」「人狼ゲーム」「脱出ゲーム」「カードゲーム」フェスタ、「忘年会のタコ焼きパーティ」などで、「知らない人との交流が楽しかった」「学校以外の人と話せたのは良かった」との報告も。お互いの紹介の後は自身の夢を話題にグループごとに話し合いが行われ、意見交換後に集合写真を撮影した。

 「一日のわずかな時間に同世代が交流するのはインパクトが大きい。しかも遠い徳之島と横浜で」と同リビングを運営する公益財団法人よこはまユース事業企画課の髙橋勇一事業係長は、青少年交流の意義を語った。