「第5回世美展」の参加作品を前にPRする、義山正夫さん
参加作品は計50点。義山正夫さんは「深い紅(あか)」を含め3点を出品した
【東京】徳之島出身で狛江=こまえ=市在住の芸術家・義山正夫(画号・奄美東世)さんが主宰する「第5回世美展」が、同市の泉の森会館(狛江市元和泉1―8―12)で4日から開催されている。記念すべき5回目の同展には、総勢29人が参加した。鮮やかな色彩が展開するコーナーに多くの人たちが足を止めている。
義山さんは1940(昭和15)年生まれ。幼い頃から絵に親しみ、近所でもその腕前は知られていた。終戦の混乱期、一家は密航船で奄美大島から鹿児島へ。そして宮崎で育った。
やがて、武蔵野美術大学へ進学。その後はアニメーションの会社で「アルプスの少女ハイジ」「あらいぐまラスカル」の彩画を担当した。折からのカラーテレビ化で「寝る間もないほど忙しく、80人の従業員を抱え生活は潤った」という。
そんな折、64歳のとき、心筋梗塞で路上で倒れてしまう。ところが、消防活動や経営者として地元では有名だった義山さんは、大学病院に急ぎ搬送され最高の医療が施されたことで命拾い。70歳にして、絵画の世界へ戻ってきたのだった。
「島の事情を熟知してくださった小学校時代の沖縄出身の教師、絵描きを夢見た大学時代には、パン屋のおばさんに絵を消すからと、くずパンをいただいた。倒れたときも助けられた。人に恵まれて今の僕はあるのです」。不思議な縁=えにし=を感じた芸術家は、「人に喜んでもらおう、絵のある暮らしの素晴らしさをみんなで共にしよう」の思いから、参加型のグループ展を2015年に立ち上げたのだった。
「第5回世美展」は、8日までで、午前10時から午後5時まで(最終日は午後4時まで=問い合わせ先は、電話03・5497・5444、泉の森会館)。「島の自然や人たちが、僕と僕の絵を後押ししてくれました」と笑顔で語る義山さんは「さらに研さんして10回目を、島でも何かやりたいですね」。故郷での芸術活動も頭の中で描いている。