奄美は9~10世紀に農耕導入

研究者から南西諸島の初期農耕などの研究成果を発表


ケブラノ前遺跡の掘立柱建物跡を見学する参加者

南下して沖縄諸島に拡散
喜界町で 奄美考古学会・九州古代種子研究会
遺跡見学会やワークショップも

 第11回奄美考古学会・第13回九州古代種子研究会の合同研究会が14、15日、喜界町役場などで開かれた。「南島における農耕のはじまりと社会変化」をテーマに、各研究者が調査成果などを発表。奄美諸島と沖縄諸島の農耕導入期についてこれまでの調査から、9~10世紀に奄美諸島に伝わり、奄美諸島から南下して沖縄諸島に広がったとされる見解が示された。

 両会は考古学研究者や行政の埋蔵文化財担当者などで構成する団体で、今回は農耕に関連したテーマのため農耕開始期の遺跡が発見されている喜界島で合同研究会を企画したという。14日は熊本、鹿児島の各大学研究者など7人が、農耕に関する研究や知見を発表した。

 熊本大学大学院人文社会科学研究部の小畑弘己教授は、大陸から日本への稲作伝播過程を論じた先行研究などを紹介。土器の表面についた穀物や虫などの痕跡を調べる「土器圧痕調査法」の成果から、「日本に稲作が伝わったのは縄文時代晩期(約3千年前)の黒川式土器の段階でないか。今後は表出圧痕だけでなく、土器の内部にある潜在圧痕の調査も必要」とした。

 鹿児島大学国際島嶼教育研究センターの高宮広土教授は奄美・沖縄諸島の農耕のはじまりについて、植物食利用をフローテーション法(遺跡の土から炭化植物遺体などを回収する調査法)で調査。「炭化植物の年代測定から奄美では、9~10世紀に農耕が開始。農耕は北から南に拡散し、沖縄に広まった。奄美の初期農耕はいろいろな穀物を利用する『多様性』、沖縄は『アワ中心』の特徴がある」とまとめた。

 県立埋蔵文化財センターの真邉彩さんは、宮古島の土器圧痕調査を報告。喜界町埋蔵文化財センターの松原信之さんは共同研究者と連名で、畝状遺構が発見されている喜界島の初期農耕遺跡について発表。元伊仙町教育委員会で現・熊本大学埋蔵文化財調査センターの新里亮人助教は、伊仙町で調査した谷水田跡の調査事例を紹介した。

 奄美考古学会事務局の川口雅之さんは各研究者の発表から、▽農耕の開始は奄美が9~10世紀、沖縄は11世紀ごろで北から南に拡散。発信源は喜界島の可能性がある▽薩摩半島の拠点と喜界島が交易し、農耕が伝わった可能性がある▽奄美の初期農耕の「多様性」をどうとらえるか―の3点を抽出。小畑教授は「調査に際して予断を持たず、まだ見えていなものを探す努力が必要だろう。圧痕を探してもらい、新しい方法を考えて新しい史実の掘り起こしにつながれば」と語った。

 翌日は城久遺跡群などの土器片から圧痕を探すワークショップと、遺跡見学会を実施。参加者は小畑教授や学生などのアドバイスを受け、圧痕にシリコンを入れて型をとる「圧痕レプリカ法」を体験した。

 遺跡見学会は、同町荒木のケブラノ前遺跡で開催。縄文時代の出土品や、古代から中世とみられる掘立柱建物跡や炉跡を、同町埋蔵文化財センターの岩元さつきさんが案内して説明した。参加者からは、建物跡が規格性の高い建物であったことに驚きの声が上がった。