龍郷町・半川遺跡

年代測定から約1万1400年前とみられる半川遺跡出土の爪形文土器(提供写真)

土器使用の「最古の開地遺跡」
鹿大島嶼研高宮教授報告 竪穴住居跡も最古の可能性

 鹿児島大学国際島嶼教育研究センターの高宮広土教授は10日、龍郷町の役場町長室で会見を行い、龍郷町赤尾木の半川=はんごー=遺跡が琉球列島で土器を使用する「最古の開地遺跡」であると報告した。年代測定から半川遺跡の爪形文土器は約1万1400年前の可能性があるとして今後のさらなる調査研究の必要性を提言した。

 半川遺跡は周知の遺跡として2004年に同町教育委員会が発掘調査を実施し、竪穴住居跡や土器、石器などが出土。05年に奄美考古学会などが町教委の調査対象区域外の隣接地で調査。フローテーション法で土壌サンプルから炭化堅果類を多数検出していた。

 この堅果類を高宮教授が17年に外部機関に分析を依頼して、放射性炭素14年代測定法で約1万1200年前の数値が出て琉球列島最古の植物遺体と判明。ただ出土土器と堅果類の時期にずれがあり17年4月に会見し、整合性の取れた説明ができるよう再調査の構想を温めていた。

 高宮教授は遺跡を再調査し貝塚時代の食性を解明するため、日本学術振興会の科学研究費補助金の基礎研究に応募し採択され助成が決定。高宮教授ら調査チームは町教委の協力を得て、18年11月に第3次調査を実施した。

 調査の結果、約2㍍×約2㍍の試掘坑(トレンチ)を約0・8㍍掘り下げた3d層から爪形文土器などが多量の炭化堅果類と出土。年代測定の結果、炭化堅果類は約1万1400年前と判明。鹿大の埋蔵文化財調査センターの新里貴之助教によると、爪形文土器と未発見とみられる土器は約1万1400年前の可能性があるとした。

 高宮教授は半川遺跡が、▽土器が見つかる開地遺跡では琉球列島で最古▽多量の炭化堅果類が出土▽竪穴住居も琉球列島で最古の可能性▽下原洞穴遺跡(天城町)の約1万3千年前の隆帯文土器に続き、半川の爪形文土器が1万1400年前なので、九州本土の土器文化と似る―などと重要性を例示。「爪形文土器はこれまで見つかっている約6500年前のものとはタイプが違う。下原洞穴遺跡の隆帯文土器が見つかったことが追い風にもなった。九州と土器文化が似ているのは、航海に長けた人がいた可能性がある」と語った。

 会見に同席した竹田泰典町長は、「琉球列島の開地で一番古い遺跡で、すごいと感じた。いろいろと意見を集約し、今後の方針を検討したい」と話した。

 調査成果は21年3月、調査報告書としてまとめられる予定。