壕や弾薬庫など確認

大島防備隊跡でコンクリート製の壕を確認した(提供写真)

加計呂麻島 旧海軍・大島防備隊
瀬戸内町教委が分布調査

 瀬戸内町教育委員会はこのほど、同町加計呂麻島瀬相の大島防備隊跡でコンクリート製の壕や弾薬庫跡などを確認した。担当者は確認した壕について、「形状などから避難用でなく、旧海軍・大島防備隊の中心部の可能性もあるのでは」と推察している。

 町教委では町内に数多く残る戦跡(近代遺跡)の活用のため2017年度から、国庫補助を活用して測量や発掘調査などを行っている。

 『瀬戸内町内の遺跡2(近代遺跡分布調査編)』によると、1941年9月瀬相に海軍の大島根拠地隊が編制され、防備隊と通信隊を設置。根拠地隊は、その後廃止され、42年1月に奄美群島における海軍の中心部隊である大島防備隊になったという。

 大島防備隊跡は「戦斗指揮所跡」付近に、83年4月慰霊碑が建立されている。戦時中の部隊の平面見取り図(復元図)で、町教委は防空壕やドックなどの存在をつかんでいたが、施設の詳細な場所や入口部などは未調査で不明だった。

 町教委の鼎丈太郎学芸員に住民から防空壕の情報が寄せられ、鼎さんは現地確認とその他の施設の分布調査を実施。図面資料から防空壕には沖縄方面根拠地司令部司令の加藤唯雄海軍少将が、慰霊碑付近にあったとされる司令室には大島防備隊司令の谷口秀志海軍大佐の存在が言われていた。

 情報をもとに確認された「防空壕」は、コンクリート製で幅約1・5㍍×高さ約2㍍。反対側の入口は崩れてふさがっており、通路の左右には複数の空間部を形成。また分布調査では、海岸部で船を修理する施設であるドックや弾薬庫の存在が確認された。

 鼎さんは調査をふまえ、「これまでよく分からなかった大島防備隊の施設を確認できた。今回の事業では分布調査のみしかできないが、今後優先的に調査していきたい」などとした。