犠牲者の冥福を祈り黙とうする市職員ら(20日午後2時、奄美市住用総合支所)
3人が亡くなった奄美豪雨災害から10年を迎えた20日、奄美市では、入所者2人が犠牲となった同市住用町のグループホームの被災時刻に合わせ、午後2時に防災無線のサイレンが鳴り響くなか、市民らが黙とうを捧げた。最も大きな被害を受けた同市住用町では、市住用総合支所の職員ら約30人が、グループホームのあった方角に向かって静かに目を閉じ、犠牲者の冥福を祈った。
2010年10月20日の奄美豪雨災害では、奄美市と龍郷町で計3人が死亡、2人が重軽傷を負ったほか、453棟が全半壊、967棟が浸水被害に遭った。同日の雨量は名瀬で観測史上最も多い622㍉を記録、住用では午前10時~午後1時の3時間で354㍉の降水量を観測。「百年に一度」と言われる雨量(195㍉)の約1・8倍に上った。
同市住用町では、町内を流れる河川が複数氾濫、特に住用川の氾濫により浸水した同町西仲間、石原集落では多くの家屋が床上まで浸水する深刻な被害を受けた。西仲間にあったグループホームでは、逃げ遅れた入所者や職員らが被災、2人が犠牲となった。住用総合支所旧庁舎も1階部分が浸水する被害に遭った。
当時、名瀬の本庁に勤務していた同支所の弓削洋一支所長(59)は、応援要請を受け、同支所に向かったが「和瀬トンネルから先に進むことができなかった。連絡も途絶え、何もできないまま車内で一夜を送った」と当時を振り返った。毛布や食料などの物資を届けることができたのは、3日後のことだったという。
同市では毎年、同時刻にサイレンを鳴らし、犠牲者らの冥福を祈っているが、弓削支所長は「10年という節目の年を思うと身の引き締まる思い。犠牲者の命を無駄にしないよう、災害の教訓を胸に市民の安全、安心に努めたい」と話した。