3月20日、奄美市誕生15周年

奄美大島の北端・奄美市笠利町佐仁集落。伝統芸能・食文化が息づくが、人口の減少で地域の活力が失われると継承が困難になる

均衡ある発展課題
飛び地・笠利町からの報告

全国的な「平成の大合併」により奄美群島では唯一の市町村合併で2006年に誕生した奄美市。20日で15周年を迎える。市の将来像として「自然・ひと・文化が共につくるきょらの郷」の実現を掲げる中、住民の暮らしに直結する地域づくりで均衡ある発展が見られるだろうか。3地区(名瀬・笠利・住用)のうち、間に他自治体を挟み陸続きではない”飛び地”となっている笠利町の北端、佐仁集落から報告する。

伝統芸能と関連する食文化が今なお息づく佐仁集落。11年に県の無形民俗文化財に指定された「佐仁八月踊り」は、奄美市認定の一集落1ブランドでもある。集落は海側から見ると、南側が1区(松崎文好区長)、北側が2区(竹田洋二区長)に分かれる。現在の世帯数・人口は1区74戸・116人、2区59戸・103人。計133戸・219人だ。

2区の竹田さん(76)が区長に就任したのが、合併の翌年の07年。その当時の世帯数と人口を比較してみよう。1区107戸・208人、2区93戸・170人で計200戸・378人。合併以降、67戸・159人の減少で、人口減の割合は42%と4割に達する。減少は子どもの数にも表れている。集落には、集落のみが校区の佐仁小学校がある。合併当時20人だった児童数は今年度で11人、新年度には9人と一桁に陥り、このままでは10年後には1人にまで減少する見通しという。

「合併して良かったと思うのは小学校の校舎が建て替えで新校舎になったことと、公民館の内装や補修くらいではないか」「期待外れ。地方交付税が減らされ、このままでは自治体として存続できないとして半強制的に合併を選択したが、合併を選択しなくても存続でき、しかも人口が増えている隣の龍郷町がうらやましい。奄美市になり名瀬中心、笠利町はますます赤木名中心となっている。中心部から離れるほど疲弊しているのでないか」。二人の区長は口をそろえた。

地域の均衡性では笠利半島の中でも東海岸と西海岸で差があるという。東海岸には空の玄関口・奄美空港、そして観光の拠点施設・奄美パークがある。この空港から名瀬に至る路線には、道路沿いに観光客受け入れ用の施設などさまざまな進出がある。用安集落を訪れたら実感できる。一方で西海岸はどうだろう。空港に降り立った観光客が足を運んでいるだろうか。

松崎さん(80)、竹田さんが語った。「笠利町の観光資源は、なんといっても海岸風景の美しさ。それはどの集落でも言えること。訪れる観光客らが利用できるトイレや休憩場の整備を集落として行政に何度も要望しているのに、周辺の屋仁、川上を含めて一向に整備されない。観光客が滞在できる環境整備は東海岸と西海岸で大きな差がある」。地域の声がなかなか届かないという行政との距離感。広域合併の弊害だろうか。

「旧笠利町時代は4大行事(相撲やバレーなどのスポーツ大会)の際、優勝した集落に首長が足を運び共に祝ってくれた。今では考えられないほど首長、行政との距離がとても近かった。合併で役場も出先機関となり職員数が減り、議員の数も大きく減った。地域の実情が行政の施策に反映されにくくなっているのではないか」

人口の減少は、佐仁集落の”顔”とも言える伝統芸能の継承にも影を落とす。佐仁集落では地域の高齢者らが学校に駆け付け、八月踊りを子どもたちに教えるのが恒例となっている。ところが子どもの頃に踊りや唄を覚えても大人になって帰郷するのは、ほとんどいないという。「昨年は新型コロナの影響で八月踊りができなかった。今年もできず2年続けて中止となると今後継続できるだろうか。年々、踊り手が少なくなっている」。両区長の表情が曇った。

「自治体行政を進めていく上で財政の健全化は必要。そのためにも『ハコモノ(公共施設)』整備や道路整備など公共事業の在り方を見直すべきではないか。住民の暮らしを支え、産業を育て支援する公共事業や政策を。無駄な公共事業は財政の圧迫だけでなく、自然環境の悪化で希少種の生息に影響を与える事態を招いている。世界自然遺産登録と矛盾するのではないか。あるがままの状態で自然を守り残すべき」。こう語るのは笠利町打田原集落で天然の塩づくりやナリ(ソテツの実)を原料にした加工品づくりに取り組む和田昭穂さん(89)。

大阪で小学校の教員をしていた和田さんは合併前年の05年に帰郷。「市町村合併には反対だった。地域の衰退をもたらす学校の統合でも言えることだが、統合や合併には慎重になるべきだ。行政の範囲が広くなると住民一人ひとりへのきめ細やかなサービスが行き届かなくなる」。和田さんは住民税の徴収例を挙げた。旧笠利町時代は役場職員が各集落を回り、徴収していたという。現在は住民自ら出先機関(笠利総合支所)に出向くか、口座振り込みだ。車の運転ができない高齢者など不便を感じているという。

和田さんは続けた。「役場職員が集落に出向くことで、集落の現状を把握し、行政への要望も聞けた。現在はこうした機会が失われている。また合併により出先となったことで職員数が減ったことも行政サービスの低下を招いている」。

今後の地域づくりでは都会などから若い人を呼び込む政策を求める。「空き家改修などで居住環境の整備・提供は大事だが、住まいと同時に自家消費用の野菜づくりなど家庭菜園ができる用地も確保すべきだ。こうしたことを都会の人は楽しみにする。住家周辺が無理なら集落内などにある荒廃地を活用し、複数の人が利用できる市民農園の整備を」と和田さん。

コロナ禍での新たな働き方として「ワーケーション」(観光地などで休暇を楽しみながら働く)が注目される中、奄美でも移住政策の一つとして受け入れを目指す動きがある。ICT環境の整備と同時に、リフレッシュできる空間として家庭菜園の場も創出したい。無農薬・減農薬での青果物生産を自ら手掛ける。食の安全に敏感な都会の若い人たちには魅力的に映るだろう。
 (徳島一蔵)