荘厳な「四つ竹」の踊りに客席からは、ため息が漏れた(撮影=山下敏治さん)
戦後の傷跡に、踊りが島民を励ますシーンがステージ上に再現された(撮影=山下敏治さん)
【東京】踊りで笑顔と、勇気と元気を届けたい――。「終戦の日」の15日、伊是名の会(原口このみ会主)は、東京の練馬文化センター大ホールで第31回定期公演「琉美創舞」を開催した。時代に翻弄された沖縄の歴史を軸に、琉球舞踊の変遷を紐解くステージが繰り広げられ、会員ら総勢43人によるダイナミックな演出に、訪れた大勢の人達が見入った。
今回は、琉球舞踊を通して、沖縄の歴史を紹介する内容の公演。当初は沖縄が本土復帰した5月15日に開催を予定していたが、コロナ禍で延期に。3カ月の延期を会員らは心を一つにして練習に励んできた。繁栄を極めた琉球王朝時代に誕生した古典舞踊から明治以降に発展した、庶民の生活を取り入れた雑(ぞう)踊り、戦後以降の創作舞踊まで、琉球舞踊の移り変わりが沖縄の歴史に重ねながら上演された。
幕開けは中学生の中谷沙南(なかやさな)さん、中谷美玖さん、小学生の北方結彩(ゆい)さんの3人が登場、来場者への感謝と、この日の意気込み、「今日は、ハト(指笛)は禁止とさせていただきます。その代わりに拍手で応援してください」との言葉に、客席から大きな拍手が沸いた。
ステージでは1469年の琉球王国の成立から幕が開いた。中国との交易があった時代、偏西風の関係で琉球に半年滞在した国使たちをもてなすために琉球舞踊が発展していった話が語られ古典舞踊がメドレーで披露された。上座に座る5人の地謡(じうたい)の生演奏でロイヤルカラーの黄色地の紅型衣裳に身を包み、花笠をかぶった19人による荘厳な四つ竹の群舞がまず観客を魅了した。薩摩藩による琉球侵攻、江戸への登城、王朝時代の終了により沖縄県になる。そして太平洋戦争、日本本土復帰へ。終戦後の焼け野原で、地元の芸能の人たちが立ち上がり芸能団を結成、収容所を慰問し人々を慰めた話などもあり、次々と時代に沿って当時の舞踊が披露された。
コロナ禍でこれまで当たり前だった事が出来なくなった閉塞感など、現代人と当時の沖縄の人達の少しだけ重なり合う「心の有様」に迫った内容に、観客も惜しみない拍手を送った。
客席で見入っていた奄美出身の中賢一郎さん(62)は、「異国との苦難の歴史が、人々の魂が結集し、踊りとして、受け継がれているのを感じた」と話し、同行者の藤枝香織さん(41)は「初めて見ましたが、出身の会津とは全く違う踊りで驚きました。踊りで歴史がわかるんですね。戦争もあったのに手のひらを見せて踊っていた。攻撃する踊りがあってもいいはずなのに、手のひらを見せていたのに心打たれました。平和は手のひらにあったのだと言っているようだった」。
今回で観覧3回目という川尻敏晴さん(54)は、「ここ東京で沖縄の伝統を担っていることに強くひかれて続けて見に来ています」と話した。