奄美のために出来ること22

レジェンドの闘志あふれるファイト(円内は徳之島を語る様子)

大横綱の雄姿に憧れた少年やがて徳之島観光大使に
プロレスを通じて子供たちを成長させたい

 奄美への思いと、登場人物のプロフィルに迫りながらバトンをつないでいく「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は闘う!」の第22回は藤波辰爾さんの後編。プロレス半世紀のレジェンドは、徳之島との縁が深かった。(東京支局・高田賢一)

 徳之島が生んだ、大横綱の雄姿に憧れた少年時代。

 「小学生の頃、朝潮太郎さんに夢中でした。うっちゃりが得意で、最後まであきらめない姿をよく覚えていますよ。コニシキも毎年訪れるという、墓にも参りました。縁を感じますね。僕は、どうゆうわけか徳之島の観光大使なんですよ。何もできていませんけど(笑い)。十数年前、テレビの取材で闘牛場へ。奄美と同じように人懐っこい印象がありますが、より濃い人が多かった。闘牛の横綱を持っている方がいて、プライベートでも何回か伺いました。そこでも黒糖焼酎をたくさん酌み交わし、おいしい物をいただきました。ヤシガニも初めて食べた。雨が降ったら巨大なタニシが出てきましてね。さすがにそれは食べなかった(笑い)。徳之島には戦艦大和のモニュメントありますが、もう少し整備したほうがいいような気がします」

 体をぶつけ合うプロレス。コロナ禍の影響も大きかった。

 「ジムは三密そのものですから、苦労しましたね。マスクを着けて見通しの立たないリングへ向け沈黙のトレーニングは、辛かったなあ。7月16日、1年半ぶりに試合をできた時には、感慨深いものがありました。ところが、観客が変なんです。マスクで間隔を空けての観戦だから、いつものように声援も送れないし、ハグもできない。とても違和感がありました。リングで戦う僕らもそう。声援を浴びながらのファイトができないから、動きがスムーズじゃない。やりづらかったけれど、できただけでもありがたかった。マットにたたきつけられても、大声援があってこそ痛さが和らぐ。誰もいないと痛みは倍増しちゃうよ(笑い)。にぎやかなシーンを好む奄美の方々は、特にコロナによってフラストレーションがたまっていることでしょう。それを少しでも和らげればと思いますね。コロナ禍が終わったら、真っ先に行きたい場所の一つです」

 プロレスを通じて、子どもたちに何を伝えたいのか。

 「小学校高学年生に、リングを初体験してもらう。教育現場には賛否両論ありますが、普段は無口な子も積極的に変わっていく。ばらばらだった動きも、少しのアレンジで、一つの輪になっていく。プロレスはケンカじゃない。受け身は他にも応用できる。プロレス体操のようなものを考案して、野球や相撲と同じようにスポーツの一環として紹介、彼らの成長を支えたいのです。奄美でも、ぜひ実現したいですね」

 次回登場するのは、歌手の角川博さん。10月31日は大阪南港ATCホールで、11月9日は東京後楽園ホールで「デビュー50周年記念ツアー」を開催する、ドラゴンの熱いバトンを受ける。