伊仙町教委「才上遺跡」調査

貝塚時代~琉球王国統治時代にかけた集落・水田跡の「才上遺跡」(伊仙町古里)=町教委提供

貝塚~琉球王国統治時代
多様な土地利用・生活痕跡確認

 【徳之島】伊仙町教育委員会は19日、畑地帯総合整備事業(ほ場整備工事)に伴い昨年7月から発掘調査していた同町古里の集落・水田跡「才上(さいじょう)遺跡」の概要を発表。カムィヤキ陶質土器や中国産陶磁器、石器、建物遺構など約1500年前~約500年前までの人々の農耕・生活痕跡を確認。農耕開始に伴う多様な土地利用の姿、当時の生活の変遷などを考える上での貴重な価値を強調している。

 「才上遺跡」は、「面縄第1貝塚」の西側の石灰岩台地上の谷筋に位置。同町教委は県営畑総事業(第二面縄2期地区)計画に伴い、昨年7月~先月末にかけて約1600平方㍍を発掘調査していた。

 約1500年前~約500年前(貝塚時代後期末~グスク時代~琉球王国統治時代)の約600年間にかけた集落跡および水田痕跡。陶磁器片や滑石製石鍋(長崎産)など石器、鉄器など多数の遺物も発掘・確認した。

 同町教委の與嶺(よみね)友紀也学芸員(30)は、調査の成果について、「グスク時代になると谷地には大小9棟の建物が確認され、人々の居住地の一部が広がっている。建物の中には高倉と思われる遺構(柱穴)も。居住地は長続きせずに、居住地をつぶして水田を形成。時代を通して作付面積を広げていった」。生活道具など遺物の状況では「島外各地から品物を取り寄せている様子もある」と推測。

 同遺跡の価値について、「農耕が始まったことで人口増加が起こり、食料不足のために居住地を変えてまで水田の数を増やす状況が生まれた可能性も」。人々が狩猟採集から農耕の生活に移り変わる中では「谷地を居住地や農耕地に利用する多様な土地利用の姿が見えてきた」。貝塚、グスク、琉球王国統治時代と複数の時代にまたがり、「人々の変遷が具体的に見える事例。徳之島における当時の人々の生活史を理解する上で貴重」と強調した。