一村を広めた足跡を語る西村さん
県奄美パーク・田中一村記念美術館主催の開園20周年記念「芸術文化講演会」が3日、奄美市笠利町の同園であり、同美術館の初代学芸員で、無名だった画家・田中一村の画業を発掘し世の中に広めた立役者の一人、西村康博さんが講演を行った。西村さんは、一村の功績が流布する転機となった1977年の遺作展への道程や経緯、名声が広く全国へと伝播していく足跡を、思い出を交えて語った。
西村さんは、鹿児島市生まれ。77年に東京藝大卒業後は、美術教師として奄美高校にも6年間赴任。演題は「一村の始まりの遺作展の頃」で、講演の様子は動画投稿サイト「ユーチューブ」でも配信された。
出会いは、教師時代に知人の従業員宿舎で見た「不喰芋と蘇鐵」の絵。西村さんは、雑な扱いながらもアンリ・ルソーや伊藤若冲を彷彿させる構成力に「妥協がなく几帳面。一流だ」と直感。その後は部屋を埋め尽くすほどの作品を家に持ち帰り、一村とも親交のあった奄美焼の宮崎鉄太郎氏や南日本新聞社奄美支局長の中野惇夫氏らと一村談議にのめり込んだ。
遺作展は、3回忌を機に3人が仕掛けて実行委を組織。商工会や通り会など官民が多方面で協力。31点の掛け軸やデッサンが展示された初の展覧会には、3日間で異例の3千人が詰め掛けた。
西村さんは「口コミもすごく、地元の人が一村を知るきっかけにはなった」と当時を回顧。さらには、NHKテレビ番組「日曜美術館」の放送が全国波及への後押しとなり、「ここから水の波紋のように輪は広がり、世の中に出ていくことになった」と足跡を紹介した。
質疑で西村さんは「千葉時代の絵もいいが、奄美で(独自の自然を)描いたからこそ今のような脚光をあびることができた」と主張。「一村の作品や生き方は、力を与えてくれる。世界自然遺産とともに大事に継いでほしい」などと呼び掛けた。