7月に埼玉・越谷で開催された「七夕歌謡祭」で熱唱する、角川博さん(円内はデビューしたての頃の様子)
奄美への思いと、登場人物のプロフィルに迫りながらバトンをつないでいく「奄美のためにできること。新型コロナウイルスと私は闘う!」の第24回。野球少年が、やがて二つ故郷を背負って演歌のステージへ立つ、角川博さん後編をおくる。(東京支局・高田賢一)
名門高校・元野球部員が、島の球児たちへ熱いエールを。
「広島の田舎で新聞配達屋を営む家に生まれた野球少年でした。ひたすら野球、野球でね。母校の広陵高校は今も昔も野球の名門で、部員も本当にたくさんいて、それを見て『あぁ無理だな』と感じ軟式の方へ。でも結局そっちもいっぱいで(笑)。雨が降って部活が駐輪場でやる楽なメニューに変わった時に、『角川!なんか歌ってくれ!』と先輩に命令されたのです。当時なぜか覚えていた『長崎は今日も雨だった』を歌った。初めて人前で披露して、なんだか妙な心地よさを覚えました。大うけでした。親父も結構うまかったので、それを受け継いだのかもしれませんね。でも、職業にするとは考えもしませんでしたよ。それから、いとこの紹介でクラブ歌手になって博多の店に移った後にスカウトしていただき、今につながった。野球部に入ってなかったら、今のステージには立っていない。人生は分からないもの。島の球児たちは練習試合の相手や、遠征費のやり繰りも大変でしょう。ですが、僕の経験から繰り返し練習すれば結実します。練習にうそはない。そうエールを贈りたい。歌もそうですが、自分を信じて夢に、白球に向かってほしい」
コロナ禍での厳しい状況も、奮闘する転機に。
「歌手という職業は、全国のたくさんのお客様の前で歌うというのが本分。それができないのは、正直つらいですね(笑)。配信などの方法もありますが、僕のファンは特にスマホがまだ苦手な方が多い。難しい気がしますが、僕自身、事務所の俳優の子に教わり今はかなり使いこなせてます。最近は、子どもからスマホを教わったというファンの声も聞こえ『会えなくても会える』という変な日本語が成立しつつあると感じています。僕ら歌手も『会えなくても会える』時代に合わせていかなきゃ、と思うのです。仲のいい山川豊くんも自身のチャンネルを開設しているし、コロナ禍で、むしろチャレンジすることが増えてうれしい。多くの事に興味を持ちましょう。『配信』やってみようかな」
故郷のために恩返しを。日本の文化「演歌」を世界へ発信したい。
「僕にとって故郷は、広島とスカウトされるまで過ごしていた『博多』の二つある。故郷を離れた今だからこそ、なおさら故郷に何かしら恩返しをしたいと考えております。皆さんの奄美には、シマ唄という民謡があるそうですね。方言を独特の節回しで表現する、文化と伺っています。東京五輪を機に、日本の素晴らしい文化が世界に発信されていければいいな、と思うように、歌詞を大切に伝える歌『演歌』を世界に広めるため、もうひと頑張りします」
次回登場するのは、後輩の歌手山川豊さん。10月に新曲「四条河原町」を発表した、角川博さんからバトンを受ける。