見えてきた災害時の今後の課題

津波警報発表時、多くの市民が車で避難したループ橋後の高台(道路沿いに奄美看護福祉専門学校の寮がある)

避難経路、避難場所の確保 食料支援やトイレ整備も
寮生の思いやりに感動

16日午前1時過ぎ、奄美市名瀬に津波警報が流れ避難が呼びかけられた。久里町に住むIさん(50代・男性)は、飛び起き、妻と車で避難した。日頃から枕元に用意してあった避難袋と少しの食料を持った。避難場所も考えており、ループ橋を渡り高台を目指す予定だった。

しかし、出発から15分でループ橋は渋滞、反対車線に出て走り抜けていく車もあった。1時間かけても100メートルも進むかどうかになり、奄美看護福祉専門学校のドームそてつ寮(学生アパート)付近で車は全く進まなくなった。春日町からの道が合流するあたりだ。しばらくすると、停車中の車一台一台に声をかけている人がいた。「先頭の車の人が、エンジンを止めて寝ているらしい。先頭が動かないからこれ以上待っていても先には進めない」と伝えてくれた。そこでやっと車の波が動き出し、渋滞の先頭が見えてきた。崎原近くまで車を走らせ広い場所に車を止め、やっと安堵した。

午前6時ごろ缶コーヒーでも飲みたいと寮の方まで歩いて降りていくと、薄暗い中2人の若者が立っていて「トイレですか、トイレを案内しています」と声をかけられた。「市役所の方ですか」と訪ねると「いえ、自分たちはこの寮に住む者です。トイレを探している方々が多いので案内しています」との返答。「ありがとうございます。ご苦労さまです」と言ってIさんは寮を後にした。「早朝は結構気温も下がっていたと思うが心温まる思いをした。この素晴らしい行動をみんなに伝えたい」と話す。

Iさんは「いい予行演習になったが、大変な思いをした人も多かったと思う。今回のことで道路が15分で渋滞してしまうなど、いろんなことがわかってきたが、大変だったからもう避難しないと言う思いを持つ人もいたのではないか。市も『高台に避難を』というばかりでなく、その後のフォローを考えて欲しい。食料支援もなく、避難した場所でトイレを探すのも大変。全国ラジオは津波警報ばかりを流し、聴きたかった地元のラジオ放送は流れなかった。市役所に地元エフエム局の緊急放送場所を設けるなど、今回のことを防災の在り方を考えるきっかけとして改善していってほしい」と結んだ。