銀世界に誘われて=下=

片道1時間の雪上ハイキングを経てたどり着いた「瀧山大滝」。氷瀑と化し、周囲は静寂に包まれていた

瀧山大滝からの帰路に見た雪原。誰の足跡もない文字通りの銀世界だった


蔵王名物・樹氷原。自然が作り出したものなのでどれ一つとして同じ形のものはない

山の解放感も魅力的

 ロープウェイの車窓はもはや昨日とは別の場所に思える様子だった。真っ白のゲレンデ、青い空、雪化粧の木々や山々。冬の景色なのに寒さを感じさせない清々しさがある。景色を見て、涙を流したのは初めてかもしれない。それほどに美しい景色だった。

 ロープウェイから降りてからも感動は続いた。〝スノーモンスター〟とも称される発達した樹氷が威風堂々とした佇まいで雪原に並ぶ。この景色の素晴らしさを認める語彙がない自身を呪いたい。感嘆の声をあげたかったが、一人で騒いでいると不審者と思われそうだと、こらえるのに必死だった。

 山形県や山形市観光協会のHPによると、スノーモンスターが見られるのは世界的にも珍しい光景という。常に一定方向からの強風が吹きつけ、▽過冷却水滴(0度を下回っても凍らない水滴)と雪が運ばれること▽雪が付きやすい常緑針葉樹が自生していること▽木々が埋没しない程度の積雪量であること―などの自然条件が重なる必要がある。国内では宮城・山形蔵王以外では青森県の八甲田山系や、秋田県の森吉山などの限られた地域でしかスノーモンスターと呼ばれるほどは発達しないそうだ。

 また、樹氷のベースになっている樹木は「アオモリトドマツ(オオシラビソ)」という針葉樹だ。蔵王では近年、アオモリトドマツのマツクイムシ被害が深刻という。マツクイムシといえば奄美にとっても他人事と思えない話だ。再生に取り組んでいるということだが、この素晴らしい景色がいつまで見られるかわからないと思うと悲しくなる。

 樹氷見物にはもってこいの山頂駅ではあるが、実は駅舎があるのは9合目だ。駅舎屋上の展望台からでも山を見上げる形で樹氷原を見渡すこととなる。太陽が重なり神々しく輝く山頂を眺める手元にはスノーシュー。せっかく来たのだから山頂を目指そう。

 山頂の標高1736㍍とはいえ、山頂駅からは15分足らずで目指せる。高さ3~5㍍ほどある樹氷の合間を縫いつつ、あっという間にたどりついた。山形市街地が一望できるほか、反対側に熊野岳も見て取れる。これまで海がきれいなところを中心に旅をしてきたが、山の解放感もまた魅力的だと実感した。

 帰路を考えるとあまり長居はできない。肌を刺す冷気に名残惜しさを覚えたが、おとなしく下山しスノーシューを返却。車に乗り込み仙台方面に向かった。

 仙台に近づくにつれ雪国らしさが薄れ、旅の終わりを感じた。この旅が終わる感覚は何度経験しても寂しくなり、胸が締め付けられる。物悲しい気持ちを紛らわせるために仙台市街地に寄り道し、これでもかというほど牛タンを食べた。

 日が暮れてからレンタカーを返却し、足早に飛行機に乗る。搭乗前にまたも牛タン弁当を購入し機内で食べた。最後まで旅を満喫するための悪あがきだった。

  ◇   ◇

 帰宅翌日、仕事から帰り仙台名物の笹かまぼこをお供に晩酌を楽しんでいると、山形県でも〝まん防〟発令されるというテレビニュースが目についた。本当にぎりぎりのタイミングの旅だったと振り返る。あと少し遅れていたら氷瀑、雪原、樹氷といった美しい景色を知る前に旅そのものを諦めることとなっていた。

 コロナ禍で閉塞感がある日々が続くが、機を見て息抜きも大切だ。非日常を楽しむことで日常の営みの大切さを知り、また多少辛いことがあっても日常を頑張ろうと思うことができる。

 かれこれ2年近くも緊急事態宣言や、〝まん防〟のために窮屈な生活を強いられていると、誰に気兼ねすることなく、好きな時期に好きな場所に旅することができる日が懐かしくも感じる。銀世界の中で感じたあの自由な感覚が生活の中にも戻ってくることを祈りたい。(西田元気)