龍郷町で西郷隆文氏が記念講演

「祖父 菊次郎を語る」の演題で記念講演した西郷隆文氏

「大変な時代生き抜いた祖父尊敬」
菊次郎翁の足跡、功績紹介

 今月9日から龍郷町りゅうがく館で「西郷菊次郎を偲ぶ 西郷隆文里帰り展」(陶芸作品・書を展示)が開かれている。開催を記念して陶芸家の西郷隆文氏(74)が講師を務めた「記念講演会」(西郷企画営業部㈱主催、龍郷町教育委員会共催)が10日、町体育文化センターりゅうゆう館文化ホールで開かれ、約100人が聴講した。「祖父 菊次郎を語る」の演題で講演した隆文氏は、菊次郎翁の足跡や功績等を紹介しながら「西南戦争に従軍して右足の膝下を切断。その後、台湾赴任時代、京都市長時代、さつま町の永野(山ヶ野)金山鉱業館長時代など大変な時代に生まれ、生き抜いた祖父。大変だとは思わずに難局を乗り切ってきた祖父を尊敬している」との内容を語った。

 菊次郎翁は、西南戦争の「高瀬の戦い」で、右足下を切断した。母親・愛加那さんへ出した手紙には「叔父小兵衛様は高瀬で戦死、私は右足を鉄砲で撃ち抜かれた。深手でひざ下を切り払い、片足になったが元気だ。足一本切り捨てたぐらい大したことない。心配しないで。妹きくも元気だ」などの内容が記されていることを紹介した。その後、菊次郎翁は、龍郷に帰って約1年過ごした。

 二度のアメリカ留学をした後、「3年間、横浜でフランス語を習っていたようだ」と指摘した。

 台湾宜蘭庁長時代には「(台湾総督府から)巨額の資金を引き出し、氾濫を繰り返す宜蘭川に堤防を造った」。

 第二代京都市長時代には、京都三大事業(第二琵琶湖疎水掘削工事、上水道工事、道路拡張工事)実現を目指した。問題はその資金調達だった。「三井銀行の協力を得て、フランスのシンジケート引き受けで、4500万フランの外債を発行して資金調達した」「『百年の大計』を目指した」と述べた。

 菊次郎翁の没後90年に当たる年に、(当時の)京都市長から感謝状贈呈を受けた。

 京都市長時代には「作陶していたという話を聞いた。無我夢中で作陶していたのではないか」「菊草さんも5~6年一緒に住んでいた。私の父(隆泰さん)と一緒に写っている写真もある」。

 永野金山鉱業館長時代には「作業員の子どものため、夜学校や武道館などを造り、テニスコートも造った」「毎年『西郷菊次郎顕彰剣道大会』が開催されている。私も招待されている」と述べた。

 「祖父を尊敬している。祖父の生まれた龍郷で『里帰り展』を開催していただき、ありがとう」と感謝した。