かつての国境27度線で海上集会

海上集会で手を振り合う国頭村の代表団(奥)と与論町の代表団(手前)=28日午前11時50分頃、北緯27度線付近海上=

60年前に沖縄で使われた復帰行進の旗と、辺土名岬と同時に点火されたかがり火=与論町城地内=

分断の歴史再認識
沖縄復帰50年 与論町と沖縄県国頭村

【沖永良部】沖縄の本土復帰50周年を記念し、与論町と沖縄県北部の国頭村は28日、かつての国境だった北緯27度線の海上で沖縄返還要求運動海上集会を再現した。海上には、両町村から出発した漁船やサバニなど合計約20隻120人が集結。本土と沖縄の分断の歴史と、先人の苦難に思いを馳せつつ、互いの絆を継承していくことを誓い合った。

この日は、沖縄と奄美群島が日本から切り離されることになった1952年のサンフランシスコ平和条約の発効から70年の節目。北緯27度線は、沖縄北端の辺戸岬と与論間の海上に位置し、奄美群島が日本に返還された53年から沖縄復帰の72年までの19年間、米軍支配の沖縄と日本を隔てていた「見えない国境」だった。

海上集会は、沖縄の早期復帰を求め63年から69年まで毎年行われていた。再現は、復帰40周年の2012年以来2回目。

この日の天候は晴れ。午前11時半ごろ、両町村の代表船の周りをほかの漁船が囲むようにして海上集会が始まった。沖縄祖国復帰50周年事業与論町推進委員会の田畑克夫委員長と国頭村の宮城明正副村長があいさつを交わし、代表団全員で当時も歌われていた「沖縄を返せ」を合唱した。集会終了後も、参加者らは手を振りながら「ありがとう」「また会おう」などと声を掛け合い、別れを惜しんだ。

田畑委員長は「北緯27度線が国境だった歴史を後世に引き継ぎ、両町村の発展を願いたい」と話した。

集会に参加した与論町の麓才良さん(74)は「先人の熱意には遠く及ばないが、現在戦争が起きている状況で、この海上集会を再現する意義は大きい」と語った。

午後3時から復帰要求行進を再現。国頭村の交流児童団19人を含む約120人が与論中学校から与論城跡までの約500メートルを歩いた。

与論城跡で開かれた式典には、塩田康一県知事らも出席。山元宗町長は「この行事が継承され、国頭村との交流をさらに盛んにしていきたい」と語った。

児童を代表し、国頭村立辺土名小6年の知花輝さんは「絆を大切にする気持ちを持つ人が増えれば、世の中は平和になる」。与論町立那間小6年の原田武蔵さんは「私たちの笑顔が海を渡り、みんなが笑って過ごせる世界を望む。与論町と国頭村の絆で平和の輪を広げていこう」と呼び掛けた。その後、2人で友好平和宣言書を読み上げた。

午後7時、国頭村から運ばれた材木でかがり火がたかれた。その横には、60年前に沖縄で行われた復帰行進で実際に使用した旗が掲げられた。同時刻に国頭村辺戸岬でも点火され、参加者は海を隔ててお互いの炎を見つめ、恒久平和を祈念した。