宇検村で第3回対馬丸平和学習交流

慰霊碑に献花後、参加者全員で黙とうが捧げられた(20日、宇検村船越海岸)

 

 

対馬丸の悲劇・沖縄戦とともに学ぶ
沖縄・奄美の児童生徒31人参加

 

 

 沖縄県は20日、宇検村で3年ぶりとなる第3回「対馬丸平和学習交流事業」を開催した。沖縄13人、奄美からは同村・瀬戸内町・大和村合わせて18人の計31人の児童生徒が参加。太平洋戦争中に沖縄を出港後、米軍による攻撃で沈没した「対馬丸」の犠牲者のために建立された慰霊碑がある同村・船越=ふのし=海岸を訪問。献花と共に、参加者全員で黙とうを実施。同村地域福祉センター「やけうちの里」でもグループワーク、交流会が行われ、参加者たちは親睦を深めるとともに、戦争の悲劇、今後の平和について考えた。

 「対馬丸」(6754㌧)は1944年8月21日夕方、学童・一般疎開者らを乗せ、那覇港を出発。長崎に向かう予定だったが、鹿児島県・悪石島の北西10㌔㍍地点を渡航中、米潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。犠牲者数は、約1500人。その後、救助された人々に「かん口令」を敷き、沈没の事実を話すことが禁じられ、詳細な調査も行われなかったことや、激化した沖縄の地上戦などもあり、その事実が知られるようになったのは、戦後しばらく経ってからだった。

 船越海岸の慰霊碑は、2017年3月に建立。当時の悲惨な事件を語り継ごうと建てられた同碑をきっかけに、翌18年から沖縄県が同交流事業を開催している。

 この日、沖縄から同行した保護者、各町村の教育委員会らが見守る中、対馬丸事件の概要の他、沖縄戦・地上戦の実態を知るロールプレイング形式のグループワークを実施。「平和行動宣言」と題し、「相手の気持ちを考える」「家族や友達を大切にする」など、児童生徒たちが、明日からできる平和への誓いを参加者全員で立てた。

 沈没により、多くの遺体が漂着した船越海岸では、生存者や、救助や埋葬に当たった当時の村民による証言の読み上げを実施。その体験談を通し、当時と変わらない海岸を前に、沈没時の状況に思いを馳せ、その後、献花と黙とうが行われた。

 沖縄県名護市立稲田小学校6年・永玉榮琳子(ながたまえりんこ)さんは、「学校で沖縄の戦争のことを学んでいるが、対馬丸のことは初めて知った」とし「生存者には生存者の悲しみがあることを知った」と話した。そして、当時の宇検村民による生存者などへの対応に触れ「当時の人たちの優しさを、今回の奄美の子どもたちとの交流で知ることが出来た」と語った。