献花を捧げる藤原海将補
公益財団法人奄美大島青年会議所(=JC、小原常誉理事長)は3日、奄美市の名瀬小学校体育館で「くれないの塔慰霊式」を開いた。JC会員のほか、遺族や安田壮平奄美市長、自衛隊関係者など80人以上が参列。自衛隊航空機墜落事故で亡くなった人たちへの哀悼を捧げ、事故を風化させることなく後世に伝える決意を新たにした。
慰霊式では、鹿屋基地所属の哨戒機が同小学校上空を慰霊飛行した後、会場で参列者が黙とう、安田市長などが哀悼の意を表し、代表者14人が献花を捧げた。
1962年9月3日、救急患者の血液輸送のため奄美に向かった海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V機が、名瀬市(現在の奄美市名瀬)のらんかん山に墜落し、1人の地元住民を含む13人が犠牲となった事故。翌年の10月には、慰霊碑「くれないの塔」が事故現場となったらんかん山に建てられ、以降毎年同JCが慰霊式を開催。三十三回忌を機に一度は中断したものの、2005年に再開し、今なお続いている。
慰霊式は例年、「くれないの塔」で行われてきたが、今年は節目の60年、参列者も多くなるため初めて屋内で行われた。式の後、献花はJCや自衛隊員により「くれないの塔」に移され焼香が行われた。
安田市長は「記憶を風化させることなく次世代を担う若者や子どもたちへと語り継ぎ、尊い13人の御霊に対し、心からの感謝の意を後世へとつなげていく」と哀悼の意を表した。
海上自衛隊鹿屋航空基地第一航空群司令、藤原直哉海将補は「私たち鹿屋航空基地隊員は、決してこのような凄惨=せいさん=な事故を繰り返すことが無いよう、隊員総員に対し、当時の事故の経緯、その後の地元住民との心のつながりについて教育を行っている」と追悼の辞で述べた。
小原理事長は「慰霊式を通じて、事故があったことを悲しい出来事で終わらせることなく、命の尊さや日常生活が守られているありがたさを次世代に伝えていきたい」と話した。
式の終了後、事故を実際に目撃した、柳町中央自治会長の本田親義さんから、当時の状況などの講話が行われた。