武州丸の犠牲、平和のゆうべ

武州丸の悲劇、戦争の悲惨さを語り継ぐ「平和の誓いも」=24日、徳之島町亀徳

戦争の悲惨さ語り継ぐ
徳之島町亀徳

【徳之島】太平洋戦争中の1944(昭和19)年9月25日、鹿児島に向け航行中の十島村中之島沖で米軍潜水艦に撃沈され、徳之島町からの疎開者148人を含む多数が犠牲となった疎開船「武州丸」の悲劇から78年―。「第16回平和のゆうべ」(武州丸と平和を考える会主催)が24日夕、同町亀徳にある慰霊碑の前であった。

武州丸は、旧日本軍徳之島守備隊の要請や県知事の疎開勧奨で現在の徳之島町亀徳、井之川、山、尾母地区の幼児学童(77人)や女性、高齢者ら計152人を乗せて瀬戸内町古仁屋港を出港。しかし、同日午後9時ごろ、米軍潜水艦の魚雷攻撃で148人の尊い命が奪われた。混乱下で乗船名簿にない軍関係者など含めると約千人が乗船していたとの生存者証言もある。

第16回「平和のゆうべ」には、武州丸と平和を考える会(幸多勝弘会長)や協賛の徳之島ユネスコ協会、教職員、住民など約20人が参加した。全員で慰霊碑に線香を手向けて献花し冥福を祈った。

幸多会長はあいさつで、無差別攻撃で撃沈された武州丸の悲劇に、今日の悲劇のロシアよるウクライナ侵攻や、無関係ではいられない台湾有事懸念などを重ね、「戦争は他人事ではない。外交が平和をつくる」ともアピール。

同会長が数年前に制作した長編紙芝居『武州丸からのメッセージ』もあらためて上演。生徒代表「平和の誓い」で同町手々中1年生、沖田兎愛(とあ)さん=留学生=は「私は、広島で生まれ育ち、原爆ドームをいつもそばで見てきた。来月は修学旅行で同じ被爆地の長崎を訪問します。―徳之島で学んだ武州丸の悲劇や戦争の悲惨さも伝えていきたい」と力を込めた。

全員で「世界の人々が人権侵害の最たる戦争の放棄、平和を守り共存共栄する」などを骨子とする「平和宣言」を確認した。