徳之島3町水中遺跡シンポ

5年間の調査成果を紹介した初の「徳之島三町水中遺跡シンポジウム」=22日、伊仙町ほーらい館


徳之島町山港沖から2016年1月に引き揚げられた「碇石」

カムィヤキ搬出港探索
「碇石」状確認など成果
「3町はトップランナー」

 【徳之島】2022年度「徳之島三町水中遺跡シンポジウム『海の中(うんなー)、こんななってるちょ』」(同3町教育委員会主催)が22日、伊仙町ほーらい館であった。長崎県・鷹島海底遺跡の「元寇(げんこう)沈船」の発見者でもある考古学者ら2氏が基調講演。3町連携で5年前から取り組む「カムィヤキ陶器」(11~14世紀ごろ)の積み出し港の探索など、水中遺跡調査の中間成果を報告。「碇石(いかりいし)」など遺物も展示し、住民たちの関心を誘った。

 徳之島・天城・伊仙の3町教委では、17年度から、水中沿岸部における埋蔵文化財の有無の把握、中世期の沿岸部利用の情報を得ることなどを目的に連携・協力。19年度はさらに深化させ同文化財事業協定も締結。文献資料や絵図、分布遺物の情報なども基に沿岸部や水中(潜水)調査を継続。数年前の報告書に続き今回、初シンポを企画。家族連れなど約百人が聴講した。

 松浦市・鷹島海底遺跡「元寇沈船」(1281年、2度目の蒙古襲来)の発見者で「徳之島カムィヤキ陶器窯跡」(国指定史跡)の発掘調査にも長年協力した池田榮史教授(当時琉球大、現在・国学院大研究開発推進機構教授)が演題「ここがすごいぞ!日本の水中遺跡」で講演。水中考古学について解説し、地方公共団体の関心が低いなかで「徳之島3町はトップランナーだ」と期待を寄せた。

 福岡県「大野誠心ふるさと館」の赤司善彦館長は「まだまだ広がる水中遺跡の世界」で講演。水中遺跡の定義や種類、全国の関連遺跡の解説を交え、徳之島3町の調査に関しては、「カムィヤキ水辺再現展示(運搬船・積み荷)」、「甕(かめ)詰め海底貯蔵の黒糖焼酎」商品化など活用案もアドバイスした。

 続いて與嶺友紀也(伊仙)・中尾綾那(天城)・大屋匡匡史(徳之島)の各町の学芸員が調査成果を報告。▽伊仙町本川沖の「碇石可能性の石材」、面縄港沖の鉄製の四つ爪錨(江戸末期の記録・南島雑話に描かれた砂糖樽船と共通)▽天城町秋利神と喜治海岸沿岸の方形状の石材、湾屋港沿岸での鉄錨(てつびょう)2基、民家や集落にあった碇石状の石製品の存在、古地図や文献史料と潜水調査成果の一致▽徳之島町山港沖の碇石(約30㌔)に関しては「奄美大島に比べて小型の船が往来していた」など見解も。

 引き続き①徳之島・奄美・沖縄の水中遺跡②世界の水中遺跡③水中遺跡を楽しむ―の3ブースでのサイエンスカフェでも交流。プールでは青少年ら対象の水中調査体験もあった。

 来場者1人・福原満彦さん(73)=天城町浅間=は「自宅近くには湾屋海岸とウンブキ遺跡が。海の中は見る機会がないが興味がわいた。歴史ロマンを大いに感じさせていただき、意義があった」と話していた。