鹿児島県指宿市山川港の「琉球墓」の供養を経て、名瀬港に着いた金城盛弘さんたち(4日、奄美市名瀬)
薩摩藩の琉球侵攻を起源とする、1634年から1850年まで18回にわたって行われた「江戸上り」。その足跡を巡ろうと、当時と同様の海路をヨットでたどる旅に出ている、東京都三鷹市の金城=きんじょう=盛弘さん(61)ら4人が4日朝、奄美市の名瀬港(長浜地区)に到着した。客死(旅先などで死亡)した琉球の先人を慰霊する旅は、奄美寄港後の沖縄で、その終わりを迎える。
金城さんは、沖縄県豊見城市出身。5年ほど前から所有するヨット「Endeavour(エンデバー)」号で航海を始め、還暦を記念し昨年「江戸上り」を計画するも、同年8月の沖縄など「軽石」被害を考慮し断念。今回、1年越しの慰霊の旅を叶えた。
「江戸上り」は、幕府将軍が変わるごとに「慶賀使」、琉球国王の新たな即位の都度「謝恩使」を、それぞれ派遣。1609年の薩摩藩の琉球侵攻の翌年に、尚寧王が薩摩に連行され、江戸まで上ったことが起源。琉球使節による文化的功績がある一方で、使節員の客死も多かったとされ、各行程に「琉球墓」が建立されている。
今回、「船長」の金城さんの航海に同行するのは、日本一周を二回果たしている広瀬保之さん(77)他、佐々木昇さん(75)、長嶺照美さん(75)の3人。ヨット歴が40~50年という心強い船仲間が、金城さんの旅路を共にする。
今回、大阪まで海路だった「江戸上り」の帰路を巡るため、7月兵庫県明石市、10月長崎県佐世保市などに入港。以降、熊本県天草市など巡り、10月23日、鹿児島県指宿市の山川港に入港。琉球墓で供養を行い、同市にある枚聞=ひらきき=神社で航海の安全祈願をした。
金城さんは、ここまでの旅路を振り返り「先人たちの苦労を知るとともに、有志が建立した琉球墓に対し感謝の念が湧いた」と話した。
一行は天候を考慮し5日か6日に名瀬港を出港し、大島海峡を渡り古仁屋港へ寄港。沖縄には8日到着予定としている。