長田の功績について紹介した見目氏(左端)と、「ウルィグシ織」の実演などがあったシンポジウム
大和村出身で奄美の民俗などを研究、多くの著書を残している長田須磨=おさだ・すま=(1998年没)の功績や奄美の民俗学などについて考える「長田須磨シンポジウム」(奄美文化継承プロジェクト主催)が5日、同村思勝の村防災センターであった。「奄美方言分類辞典」の編纂などに尽力、女性の視点から奄美の民俗学を研究した長田の生涯を振り返り、その功績を伝えた。
シンポジウムには、村内外から約100人が参加。同村の伊集院幼村長も出席した。
長田の甥で奈良女子大学名誉教授の見目正克氏(78)が「長田須磨の人となり―奄美文化の継承―」について講話したほか、長田が強い関心を抱いていた大島紬などの染織文化について、近畿大学文芸学部の関口千佳教授が講話、奄美の伝統的な帯紐「ウルィグシ織」の実演などが行われた。
長田は1902年、同村大和浜の旧家・太(ふとり)家の長女として生まれた。19年に上京し、20年に東京共立女子専門学校に入学。結婚などを経て、48歳となった50年、民俗学者・柳田国男の著書『海南小記』で故郷の奄美に関する記述を見つけたことが縁で、柳田の主催する「女性民俗研究会」に出席。以後、民俗研究の道に進んだ。
奄美にも何度も足を運び、同村の住民などから奄美の方言について聞き取りを行うなど、奄美の民俗研究に残りの半生を費やした。
見目氏は、長田について「奄美を離れていても、いつも奄美のことを思い続けていた。叔母である長田須磨の功績を含む奄美文化を後世に伝えることが大切。シンポジウムを機に、奄美の歴史をつくる次の世代に、奄美の言葉や文化を新しい形で伝えていきたい」などと話した。
関口教授は、織物を通した琉球(沖縄)と奄美のつながりや奄美の経済や文化に与えた織物の役割などについて説明。長田が民俗研究の中で大島紬などの織物に着目したことを評価した。