「ワイド節誕生秘話」を熱演

ワイド節誕生秘話を熱演し、三味線と唄を披露する児童たち

隠れた歴史掘り起こし伝承
大和村今里小学習発表会

 大和村の今里小学校(中村利之校長)の学習発表会が6日、同校体育館で行われた。シマ唄「ワイド節」が誕生する過程の劇を、全児童5人が上演。来場した保護者や地域住民ら約60人に披露し、シマ唄伝承の意識を共有した。

 「ワイド節」は徳之島の闘牛をモチーフにしたシマ唄で、中村民郎さん(作詞)・坪山豊さん(作曲)によって1978年に作られた。伝統を継承しつつ力強い曲調は、新しいスタイルのシマ唄として多くの群島民に親しまれている。

 同校では昼休み時間を利用し、伝統的に三味線練習を実施。「いつも練習しているワイド節の『ワイド』って何?」という疑問から劇はスタート。図書館でワイド節を調べていくうちに、作詞を手掛けた中村民郎さんが今里出身だと知り、子どもたちは驚く。

 中村さんは当時、レントゲン技師としてハンセン病療養施設「奄美和光園」に勤務。不治の病と言われていたハンセン病入園者から、故郷徳之島の闘牛の唄作りを依頼される。中村さんは入園者から聞いた話を元に、牛と人間の関わりや入園者の望郷の思いを詞に託す。徳之島に渡り、闘牛を目の当たりにした坪山さんが曲をつけ、「ワイド節」は完成した。

 児童たちは、完成した唄をハンセン病療養者に聞かせる45年前の様子と、普段の練習の成果を発表する今とを重ねて「ワイド節」を披露。三味線の音色と力強い唄声に、来場者からあたたかい拍手が鳴り響いた。

 劇を終えた永田環君(1年)要君(3年)兄弟は「唄を作ったのが地元の人だと知った時はうれしかった」「徳之島に行って闘牛を見たい」と笑顔。

 中村校長は「ワイド節といえば誰もが坪山さんを思い浮かべるが、中村さんのことやハンセン病とのつながりを知る人は少ない。隠れた歴史を掘り起こし、子どもたちにはその伝承を担ってほしい」と話した。