おがみ山で「市民のつどい」

泉芳朗の胸像に献花する参加者ら=25日、奄美市名瀬

泉芳朗胸像に献花、復帰の歌斉唱
「情熱沸き立てて」「若い人が再認識を」

 1953年の奄美群島日本復帰から69年となる25日、奄美市名瀬のおがみ山にある日本復帰記念碑前で「日本復帰69周年記念 市民のつどい」開かれた。市民ら約30人が参加。復帰運動のリーダーだった泉芳朗の胸像に献花、「日本復帰の歌」を斉唱した。断食や署名活動など非暴力で復帰を成し遂げた先人たちの偉業に思いをはせた。

 奄美群島は、終戦後の1946年(昭和21年)2月2日から1953年(昭和28年)12月25日までの約8年間、日本から行政分離され、米国の統治下におかれた。本土への渡航は厳しく制限され、食料・物資不足で人々の生活は困窮。苦しい時代に日本復帰を願った群島民は「復帰運動の父」とされる泉芳朗を中心に、熱烈な市民運動を展開、祖国復帰を成し遂げた。

 同つどいは、復帰運動の伝承活動に取り組む「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会」「潮鳴会」「泉芳朗先生を偲ぶ会」など、市民団体でつくる実行委員会が主催。主催者を代表し、「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会」の安原てつ子副会長は「毎年平和を祈る場所としてここに立ちたい。今日は恒久平和を願う一日にしたい」とあいさつした。

 安田壮平市長、新川康枝大島支庁長も参加。参加者らは「日本復帰の歌」を斉唱後、胸像に献花。「断食悲願」の詩の朗読や日本復帰祝賀の歌「朝はあけたり」を斉唱した。

 当時の復帰運動に参加した、薗博明さん(88)は「小学6年から高校卒業まで、復帰運動に一生懸命取り組んだことを思い出す」と話し、「戦争、人口、環境などの問題が山積する中、奄美がどうやって生きていくか、もう一度復帰運動での情熱を沸き立たすことが必要」と語った。

 名瀬矢之脇町から参加した、才田一男さん(84)は「中学の時に日本復帰の祝賀パレードが行われ、本当にうれしかった思い出がよみがえる。若い人たちが事実を再認識し、島を支え、しっかりと島づくりをしていってほしい」と話した。