奄美市で「記念の日のつどい」

先人の偉業をたたえ花を手向ける出席者たち

日本復帰69年 意志継ぎ、郷土発展へ誓い

 奄美群島の日本復帰(1953年)から69年の25日、奄美市名瀬の市民交流センターで「日本復帰記念の日のつどい」があった。復帰運動の団体や関係者、市内小中学校の児童生徒や市民ら約160人が出席。「無血」で民族運動を成し遂げた先人の意志を継ぎ、郷土のさらなる発展へ誓いを新たにした。

 集いは奄美市と民間団体などでつくる同実行委員会が主催。名瀬中2年の麓結吾さんが司会を務めた。

 出席者らは「日本復帰の歌」の額が掲げられた祭壇に向かって献花し、次々と手を合わせた。安田壮平市長は「先人の決意や団結心、平和のありがたさを次世代へと語り継ぐのは今を生きる私たちの責務。来年は70周年を迎える。力を合わせ一丸となり奄美の発展に全力で取り組んでいきたい」とあいさつした。

 式では「日本復帰の歌」「朝はあけたり」を映像で紹介。名瀬小6年生による「断食悲願」の朗読も流された。

 生徒を代表し金久中2年・吉村龍馬さんは「世界では紛争が後を絶たない。そんなニュースを見るたびに奄美の無血運動の偉大さを誇りに思う。先人たちの歴史を風化させることなく未来へ継承すること、会場のみなさんが伝える立場に立つことを強く願う」と感想を述べた。最後は万歳三唱で締めくくった。

 奄美群島は終戦後の1946年(昭和21年)2月2日から53年の12月25日までの約8年間、日本から行政分離され米軍の統治が行われた。本土への渡航は厳しく制限され、食料や物資不足で人々の生活は困窮。勉強するための教科書すらないという苦しい状況が続いた。日本復帰を願った群島民は「復帰運動の父」と呼ばれる泉芳朗氏を中心に島民一丸での運動を展開。無血での祖国復帰を成し遂げた。