歴史の伝承 未来へ(下)

奄美市で開催されている「日本復帰記念の日のつどい」。2022年も子どもたちが〝主役〟となった

時代区分の必要性、学びで誇りに

 伝承の会発行の読本では、「復帰運動がどのように行われた」の記述がある。主な流れはこうだ。▽奄美の復帰運動に先立ち、宮崎の奄美出身者や関西の奄美会、東京の奄美会・奄美学生会が立ち上がった▽奄美大島日本復帰協議会(1951(昭和26)年2月・泉芳朗議長)は、高校生を含む50団体を中心に発足し、各町村に支部が結成された。略称を「復協」と呼び合った▽復協結成の前は、教職員組合、民主勢力の人々が各島にオルグ(主に校長たち)を派遣し、復帰運動への地ならしをした▽復協は、全郡集会(名瀬小校庭)を28回、全郡署名運動を2回(沖永良部島・与論島は3回)、全郡断食祈願を3回展開▽女性たちも立ち上がった。復協には、奄美大島連合婦人会などの団体が加入―など。

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 こうした運動までの流れについて花井さんは三つに区分する。①超インフレ②小異を捨て大同団結。一方で米軍とも通じ合う③許可貿易の実現―の区分だ。「当初は米軍に牛耳られ奄美の人々は反発したが、復帰直前になると許可によって貿易(LC貿易で、大島紬が本土に流通することも)ができるなど自由も獲得した。復帰までの統治下では『オール密航・密貿易』時代でもなかった。全て一つに捉えくくるのではなく時系列で時代区分する必要がある」。

 二つ目の区分、「大同団結により米軍とも通じ合う」に注目したい。花井さんによると、大同団結を重視した背景には、東京のリーダーたち(瀬戸内町出身でロシア文学者として知られる昇曙夢など)の存在があったという。マッカーサー連合軍最高司令官への「復帰請願書」提出、国会での「奄美の復帰問題」公述だけでなく、出身者による大規模な集会など中央での運動が展開されたが、昇曙夢の「(日本復帰という)一大目的のため、小異を捨てて団結してもらいたい」との集会あいさつは名セリフとして受け継がれたそうだ。

 請願書提出や大同団結を呼び掛けるなど本土出身者の姿勢が、「仲間同士の対決より異見を認め合う」方向へと傾注したのだろう。また、地元で行われた断食祈願や30回にも及ぶ集会、99・8%にも達した署名に米軍は驚いたという。さらに奄美群島を統治し続けることに米国の国防省と国務省では見解の相違があったようだ。

 花井さんは指摘する。「米国にとって基地が存在する沖縄は中核地帯。これに対し奄美は緩衝地帯。国防省は『いずれ奄美は必要になる。手放すわけにはいかない』としていたが、国務省は奄美の軍事的価値に否定的だった。また、財政的にも重荷になっていく。その結果がダレス国務長官による声明(奄美群島を日本に返還する)であり、昇曙夢を中心とした東京の奄美会の役割を歴史的にも評価し続けなければならない」。

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 復帰実現まで統治下時代の三つの区分。また、SDGsや結い・普請社会、非グローバル社会(自給力)の原点期という捉え方。島内循環型経済の体現化など当時の人々の知恵や工夫は、これからの奄美を考えていく上でヒントになるのではないか。それには奄美の将来を担う子どもたちに伝承していくことが欠かせない。

 奄美市教育委員会では2017年から、「復帰記念の日(12月25日)」がある12月を「奄美群島日本復帰記念月間」に設定している。設定の意義について学校教育課主幹兼指導主事の川上嘉一さんは「伝承する人々の高齢化が進む中で、学校教育の場で子どもたちが日本復帰の歴史を学ぶことは大事なこと。先人の思い、取り組みを風化させることなく将来に渡って受け継いでいくことにつながる」と話す。

 各小、中学校に対し市教委では設定の意義を伝えた上で期間中、「日本復帰の歌」などを歌うことや泉芳朗氏の詩の朗読、語り部を招いての講話など復帰を学ぶ取り組みを呼び掛けている。必要な資料も提供しており、呼応するように各学校は行事の一つとして実践。それにより親の世代は知らないのに、子どもたちの方が「太平洋の潮音は」で始まる復帰の歌が歌えるという現象も。また、学んだことを学習発表会で劇にする取り組みもあり、子どもたちの関心の高さが表われている。

 「敗戦後の行政分離、米軍政府の統治下から日本復帰を成し遂げたのは先人の方々のおかげ。群島民だけでなく出身者も一丸となった組織的な署名活動、そして暴動が起きることなく『非暴力』『無血』の復帰運動の展開は誇れること。郷土教育として子どもたちが、こうした歴史を学ぶことで先人への誇り、尊敬につながり地元に愛着を持つことになる」(川上さん)。

 今年度の異動で同市教委の学校教育課長に就いた小出水明洋さんは「月間の設定など県内でも珍しい取り組みではないか。島民あげて日本復帰の歴史を考えており、大事にしている。子どもたちへの伝承はとても意義深いこと」と語る。

 奄美市では復帰記念の日に「つどい」を開いている。現在の会場は市民交流センター。毎年、児童生徒も参加しているが、新型コロナウイルス感染予防で人数制限があり、参加呼び掛けも市内近辺の学校に限定している。「つどい」では子どもたちが泉芳朗氏の詩「断食祈願」を朗読したり、復帰運動の歴史について発表する場などが設けられている。

 伝承の成果として子どもたちを〝主役〟にしていくことを続けていきたい。今年は復帰70周年の節目。「歴史を学び継承することが奄美群島の未来を拓く」。1年を通して子どもたちがより一層実感できたら、復帰時の歓喜のような希望をこの島にもたらすだろう。

(徳島一蔵)