新生丸遭難事故から70年

慰霊碑に手を合わせる参列者ら=4日午前6時ごろ、知名町屋子母=

遺族や住民らが慰霊祭 知名町

【沖永良部】知名町屋子母沖で沈没し、乗員乗客80人が犠牲となった旅客船「新生丸」の遭難事故から70年たった4日、同町屋子母集落の越之山神社で慰霊祭があり、遺族や地域住民ら約30人が参列した。

知名町誌によると、沖縄県那覇から知名町小米港に向かっていた新生丸(約18トン)は、1953年2月4日未明に同町屋子母沖で高波を受け沈没。乗客乗員82人のうち、80人が死亡・行方不明となった。

屋子母集落では2013年から毎年慰霊祭を開催。14年には、事故が起きた屋子母沖を見渡せる越之山神社の境内に慰霊碑を建立した。

午前6時に慰霊祭が始まり、参列者は全員で黙とう後、読経が流れるなか、一人ずつ慰霊碑に手を合わせた。

5歳のとき、父親を遭難事故で亡くした矢上光雄さん(75)は、当時を振り返り「弟が母親のお腹にいて、その母親に手を握ってもらい、(父親が)流れてこないかなと思いながら屋子母の海岸を探した。何十年たっても忘れられない」と話した。

区長の青木経二さん(68)は「多くの人が来てくれた。遺族も高齢化しているが、これからも慰霊祭を続けていきたい」と語った。