「自分たちで地域守る」独自のハザードマップ作成

知名瀬町内会のハザードマップと津波警報(トンガ沖海底火山噴火)後の避難行動リストを作成した豊島さん=知名瀬集落の公民館で

一次避難場所の小倉神社には、毛布や緊急用ミニトイレ、ワンタッチ式ルームテント&簡易トイレセットが配備された

奄美市・知名瀬町内会会長の豊島さん

2011年3月11日に起きた東日本大震災から、12年。奄美では前年の10月20日に記録的な豪雨により死亡者を含む甚大な被害が出た。22年1月16日にはトンガ沖海底火山噴火による津波警報が発令された。この災害の発生によって、「避難行動を検証することができた」と語るのは、奄美市の知名瀬町内会会長・豊島勇蔵さん(65)だ。地元独自のハザード(防災)マップを作り、津波警報発令後の避難行動リストを作成した。地域の防災活動について豊島さんは「災害は忘れた頃にやってくるではなく、忘れる間もなくいろいろな災害がやってくる。すべての災害の避難行動は、自分の身は自分で守ること」と説く。

津波警報受け 避難行動リストも

22年1月16日午前0時15分。豊島さんのスマホと奄美市の防災無線がけたたましく鳴り出した。トンガ沖海底火山噴火による「津波警報発令」だ。豊島さんは寝衣を脱ぎ、急いで着替え、防災無線のある施設へ向かった。無線で伝えたのは、「津波がきます。急いで小倉(こくら)神社に逃げてください」。海岸通りを車で走り、集落の中を巡回した。20分たった。津波は来ていない。ホッとする間もなく同町内会のシンボルで田畑佐文仁翁がまつられる一次避難場所の小倉神社へ向かった。

同町内会では18年11月に津波予想をたて、独自の避難訓練を実施した。30人が参加し、この時参加した8割程度が神社に避難していた。参加しなかった人は大浜海岸に抜ける県道79号線へ集中した。「避難訓練に参加した人の体には、逃げるという行動がストレートに染みている。繰り返すことで、もっとインプットされる」(豊島さん)。

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同町内会の青年団団長をしていた豊島さんは、20年に同町内会会長に就任。それまで名瀬消防署の消防士、救急救命士、防災士として40年間勤め、定年後に地元の会長に推され3年目を迎えた。が、就任後は新型コロナウイルス感染症に振り回される日々だった。

そうした中で「災害弱者を知っておくこと、今後の災害に役立てるために」と、これまでの経験を生かして豊島さんが取り組んだのが地元のハザードマップ作成。「津波は20~30分以内が勝負。地元の初動体制が大重要課題」という認識があった。

知名瀬町内会の人口は地区住民201人(23年2月28日現在)。「愛の浜園」「なぎさ園」「グループホーム虹の丘」など施設入所者が130人。人口比率は地区住民が6割、施設入所者が4割の地域。豊島さんは1カ月かけて町内会の聞き取り調査を行った。空き家、75歳以上居住、自力避難困難者、大雨時冠水可能性、1・5㍍以上のブロック塀などを色分けして大きな地図に描いた。ハザードマップは20年8月に完成した。

2年後の22年1月。トンガ沖海底火山噴火が発生。豊島さんは、この時の避難行動もわずか2週間の間に聞き取り調査を行っている。小倉神社63人、移動せず21人、県道上92人、大浜第2駐車場9人(施設職員の地区民)、その他の場所4人、旅行や上鹿・別住居5人、入院・不在3人、調査不明3人。「愛の浜園」全員大浜第二駐車場へ避難、「なぎさ園」は全員施設建物2階へ避難、「グループホーム虹の丘」は9人全員が介護老人保健施設「虹の丘」へ搬送されていた。こちらもそれぞれ色分けして避難行動リストを作った。22年1月29日のこと。

一次選択避難場所の小倉神社(海抜12㍍)の課題検証も行われた。その結果、①常設のトイレがない②防寒等の毛布等ない―ことから、毛布(10枚)、枕、救急バッグ、緊急用ミニトイレ(50枚)ワンタッチ式ルームテント&簡易トイレセットを配備した。

災害から、それぞれの身を守るためには「すべての災害の避難行動は、自分の身は自分で守ることを大原則」だが、自力避難困難者(災害弱者)の避難行動は周囲の支えが欠かせない。豊島さんは具体策を挙げる。▽近隣住民がまず声掛けをする(各班に防災員を指名)▽連絡方法として電話等を把握しておく▽自主防災会と情報の共有化を密にする▽大きな災害になればなるほど公的機関の初動体制に期待はできないことから、自己完結型の防災・減災を目指す。

豊島さんは語った。「ハザードマップは毎年、作り直さないといけない。じいちゃん、ばあちゃんなどをどうやって助けるか。地元にしか当てはまらない防災で守っていくしかない。自分たちで考えることが大切」。(永二優子)