『喜界島の古墓』刊行

島の古墓群、調査し考察
弘前大・関根教授が成果発信

 青森県の弘前大学人文社会科学部・関根達人教授らによる研究班はこのほど、喜界島で調査した古墓群の研究成果をまとめた冊子『喜界島の古墓』を刊行した=写真=。一般の販売はしていないが、県内や沖縄県の図書館や博物館、官公庁への配布を進めている。

 群島内にある古墓のつくり(墓制)を調べ、当時の人の生活や活動、変化などを研究する「奄美群島の葬墓制に関する考古学的研究」の一環。調査は、2021年6月―22年8月にかけて関根教授が中心となって実施。同島で確認されているムヤ(掘り込み式崖墓)175基のうち保存状態のよい37基を対象に、墓室や収められた蔵骨器(石厨子=ずし=、厨子甕)、供膳具などを丹念に調べ、歴史的背景を考察した。

 冊子はA4カラーで全244㌻。「研究の目的」「古墓の概要」「考察」など9章で構成。赤連ターツーミーや中熊(ナーバルモヤ)の古墓群など、37基の墓室や蔵骨器の年代や材質、寸法に至るまで、膨大な記録と豊富な図版で紹介している。

 冊子によると、薩摩藩による支配が始まった後、1730年代~1760年代にかけて喜界島のムヤや石厨子の数は最盛期を迎えている。ただ島民の黒糖売買が禁止された江戸時代末期の1830年以降、石厨子は激減する。関根教授は支配下時代であっても第2次惣買入制までは豊かな時期があったと読み説き、「サトウキビ生産も軌道に乗り、那覇世以上に経済が潤っていた可能性が高い」などと新たな見解を示している。

 23年度は与論島、24年度は徳之島での研究をまとめ、25年度には総括報告書の刊行も予定している。関根教授は「奄美は琉球文化と大和文化が重なる場所で、独自の文化、多様性がひしめく稀有な地域。各地での研究を比較することで、文化の融合と変容、社会背景なども明らかにできれば」と話している。