伊仙町制60周年記念展示

出身地・伊仙町で初公開された泉芳朗氏の日記「牛歩」など=15日、同町総合体育館
圧巻の「カムィヤキ」陶器(窯跡は国指定)展示も

泉芳朗氏の日記、出身地でも初公開

【徳之島】伊仙町制施行60周年記念式典と並行して15日、同町総合体育館のサブアリーナでは「同記念展示」が始まった。同町面縄出身で奄美群島の日本復帰運動を主導した詩人・泉芳朗氏(1959年に54歳で死去)が、復帰前年に書いた日記や書簡も展示。他コーナーの貴重な発掘資料も含め関心を集めている。22日まで。

展示コーナーは、▽泉芳朗の足跡=復帰前に書かれた日記を中心に、直筆の手紙や詩、未発表の直筆小説原稿など▽カムィヤキ展示=11世紀~14世紀ごろ伊仙町で生産され、南九州から琉球列島全域に流通した焼き物・カムィヤキ(窯跡群・国指定史跡)▽町60年の歩み=戦後の発展と町独自の歩み▽徳之島の自然=世界自然遺産登録を機に、町の暮らしと文化を作り上げた基盤の足元の自然▽闘牛文化=江戸時代に遡る「なくさみ」「牛トロシ」の伝統、過去の名勝負▽小学生による絵画展=町内8小学校の1~4年生の「住みたい町」イメージ画―などで構成。

泉芳朗氏は奄美群島日本復帰運動を主導し、120時間に及ぶ断食祈願を敢行したことから「奄美復帰の父」「奄美のガンジー」とも呼ばれる。出身地伊仙町は97年7月に名誉町民の称号を付与、義名山公園には全国募金で「泉芳朗頌徳(しょうとく)記念像」も建立した。

日記は、茨城県に住む親族(泉宏比古さん)が発見していたもの。昨年12月奄美市で一般に初公開。そして今回伊仙町制60周年、奄美群島の日本復帰70周年の年に出身町での初展示も実現させた。

日記のほか、米国大使との交渉機会の設定など復帰運動を裏で支えた東京在住の盛郷重廣氏=同町面縄出身=にあてていた直筆の手紙「盛郷重廣宛泉芳朗書簡」(町有形文化財)も併せて公開。復帰実現の年のわずか9カ月前の〝米大使更迭で焦った〟泉氏の心情などがうかがえる。

同町伊仙の団体役員富純一さん(69)は、「身命を賭(と)して復帰運動を率いた郷土の偉大な先人は誇り。犬田布騒動(藩政時代の一揆)や米軍基地移転反対運動も含め、共通した反骨精神を感じる」などと話していた。