亀津の秘境「タキンシャ(滝下)」

豊富な水量と水しぶき。徳之島最大級とみられる思い出の滝「タキンシャ」=18日、徳之島町亀津(大瀬川上流)

1935(昭和10)年ごろ「タキンシャ」での学生大会の模様(徳之島町史編纂室提供)

アクセス路整備の奉仕作業に汗を流す役場職員ら

町道・池田線には手作り看板も

ボランティアで進入路整備
徳之島亀津 思い出の地

 【徳之島】徳之島町亀津市街地を貫き太平洋へと注ぐ大瀬川(県管理2級河川)。その上流約2・5㌔に、古来地域の若人ら住民たちの水あしび(遊び)など夏の避暑地、交流の場と親しまれ思い出が染みついた滝「タキンシャ(滝下)」がある。アクセス難易度から「知る人ぞ知る秘境」に〝埋没〟していたが、住民有志たちが奮起して進入路をボランティアで再整備。新たな観光資源、絶好のエコツアーポイントにも加わりそうだ。

 大瀬川は徳之島最高峰・井之川岳(645㍍)を水脈とし、年間を通じて水量が豊富。「タキンシャ」の滝は同島最大級とみられる。上流には亀津地区の飲料水の全てを賄った水源地も。滝つぼは若者たちの水遊び、涼やかな水煙に包まれた岩場や川岸は青少年たちの集いの場ともなってきたという。

 徳之島町史編纂室の岩下洋一さん(75)=同町亀津出身=らによると、「タキンシャ」は字名・実熊袋にあるため「実熊滝」とも。1916(大正5)年に亀津尋常高等学校校長(松元虎之助氏)が作詞作曲した校歌「亀津村の歌」には、「川のみなもと訪ねれば 実熊滝は数十尺高くかかりて 堂々と落ちる水音勇ましく」と象徴的に強調されている。

 昭和10年代からは亀津村全村から集まった青年学校の生徒らが各集落でも盛んに歌唱。東京や鹿児島などから帰省した大学生らの学生大会の場、水辺での語り合いなど「青春をおう歌」する場ともなっていたという。

 だが、学校プールの普及などニーズの変化に伴ったアクセス路(里道)の埋没。到達するには河川内を20~30分間かけて徒歩で遡上するしかない困難さも手伝い、エコツアー客以外からは遠い存在にあった。

 そうしたなか「亀津地区出身者たちの思い出の詰まったタキンシャの復活を」と意気投合し、雑草木の伐採にまず乗り出したのは亀津南区の中高年層の有志たち。その後、亀津中区地区の役場職員たちにもボランティア協力の輪を拡大。さらには、同町亀津の建設業福永健さん(47)は、自ら重機を提供して私有地にアクセスバイパス路を新設。タキンシャ近くまで車両でのアクセスも可能にした。

 福永さんら有志は「私たちにとっても幼い頃からの思い出の地。初めてチャレンジされる方は安全面には十分注意し、ゴミなども捨てずに楽しんで欲しい」と話した。