大牟田荒尾与論会からも参加

大牟田の与州奥都城(おくつき=共同納骨堂)=提供写真。CDは「道の駅『おおむた』花ぷらす館」でも販売している

「誠の教え」で炭坑支える 
60周年記念行事 古里への思い新たに

 【東京】東京在住のナオミさん作詞作曲のCD「ヨロンジマ」が販売されている。「誠の教えを忘れない」との歌詞も織り込んだ曲は、モモコさんの澄んだ歌声が印象的だ。売り上げの一部は与論翔励会に寄付される。郷友会を通じてCDを買い求めた福岡県の大牟田・荒尾地区与論会会長の朝岡光男さん(67)も町制施行60周年記念行事に出席、古里への思いを新たにしていた。
 
 1898(明治)31年の台風による大飢饉を契機に翌年、第二の古里建築を目指し与論島から長崎・口之津に集団移住があった。10年後、志を新たに428人が三池港の開発に伴い、福岡・大牟田へ。旧三池炭鉱の労働を支えたが、環境は劣悪で差別もあったと伝えられている。

 そんな彼らの支えとなったのが、広く愛唱されている古謡にある「…誠(マクトゥ)打ち出(ジャ)シバ、何恥(ヌーパジ)カチュンガ」(誠さえ打ち出せば何も恥ずべくことはない)だ。「誠」を生活の軸に心を寄せ、励まし合ってきた。大牟田の与州奥都城(おくつき=共同納骨堂)では季節を春秋の大祭で見送ってきた。

 今月2日、4年ぶりの春季大祭には、移住者ら3世代約500人が参加。祭壇に玉串をささげ、先人の苦労に思いをはせ、近況を報告し合った。朝岡さんの祖父は炭鉱で船積み、祖母は石炭の区分けをしていた。苦闘の日々が想像されるが「2人は島の言葉で話していましたが、炭鉱や与論のことを聞いたことはないです。父も聞いてないようでしたよ」(朝岡さん)。次代に苦しさを受け継がせまいと、涙を古里の思い出に引き換え、誠の心に生きた証しだろう。

 「差別があったことも本で知った」と幼い記憶をたどった朝岡さんは記念式典に参加した。「大牟田へ来た先人たちの苦労が頭をよぎり感無量です。与論町を忘れず心の古里として3世、4世に伝えたい。定期的に訪問していきたいと改めて深く感じました」と何度も訪れている与論町に思いを寄せた。

 大牟田の与論会は、明治期後半にはあったとされ、名を変えながら現在に至っている。与論島2世、3世、約200人が在籍する。毎年7月に開催される「おおむた『大蛇山』まつり」では、市民による1万人の総踊りに有志が参加している。笑顔で炭坑節、大蛇囃子の2曲を繰り返し踊るユンニュンチュ(与論島の人)を先人たちは温かく見守っているに違いない。