宝島に生きる 上

海岸沿いに生える春の草・長命草を手早く摘み取った


園児たちと一緒に話しながら体を動かす牧口さん

牧口 優花さん(26)「戻ってきて良かった」
保育士の資格取得後、島へ

 十島村宝島。トカラ列島の南端に位置する宝島は、奄美大島の名瀬佐大熊岸壁(奄美市)から村営船フェリー「としま2」でわずか3時間で到着する。乗船時間は徳之島と同じくらいだ。

 「子育て広場 いまきら園」に今年から保育専門員として勤務する牧口優花さんは、2019年4月1日、十島村役場職員として鹿児島港近くにある同役場で辞令交付。ところが「東京から来ているから」と、新型コロナウイルス感染症対策で2週間隔離された。
船に乗る気満々だったが一気に気持ちは急降下。宝島の地域おこし協力隊として働き始めたのは2週間後の14日からだった。島に帰ることを考え、保育士の資格を手にUターン。それはコロナ禍の真っただ中だった。

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 この3年間、コロナと共に過ごした日々。2023年3月12日の卒園式でようやく島民と来賓が1人の卒園児のお祝いに並んだ。牧口さんにとっても初体験。「やっと落ち着いた卒園式を迎えられた。良かった」と声は弾んだ。

 宝島に生まれ育ち、宝島中学生時には「宝島を出たくない」と思った。が同級生がいなかった。大人数は苦手だが、同級生は欲しい。奄美は都会と思った。広い世界へ行こう。鹿児島本土ではなく奄美大島の大島高校へ進んだ。部活ではなく、趣味のバンドを楽しんだ。「卒業したら島に帰れるねえと思っていた」が、「何の資格も持たずに帰れない…」。宝島は保育士不足。資格取得のため上京。独学で資格取得を試みたが、「独学で取るのは大変だから、学校に行くために仕事を見つけてから行くといいよ」と先輩からのアドバイス。

 奄美の人が集まる渋谷「六調」(恵原睦男代表)と蕎麦屋でバイトしながら学費を稼ぎ、大原簿記公務員医療福祉保育専門学校立川校に進んだ。ハローワークの職業訓練として現場でも2年間見習いとして働いた。

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 宝島ではのびのび育った。島時間はゆっくり流れている。小学校6年生の時から絶滅したトカラ馬「カナちゃん」の世話で散歩をさせた。珍しく乗馬ができる。今は牛を飼い、ヤギ2匹もペットとして育てている。そして、宝島に残る「トカラ観音主」の演者として「トカラ観音三味線会」で練習に励む。

 牧口さんが渋谷「六調」でバイトしている時に出会ってから8年が経った。いまきら園で働くその姿はベテランの域だった。職員としてだけでなく、「水あげ」(納骨)など地元の仕事で保育を抜けることもあり、島での仕事は何でもこなす。「島に戻ってきて良かった」笑顔満面の牧口さん。充実した日々を過ごしている。

(永二優子)

 ※「いまきら」=島一番高いイマキラ岳(291・1㍍)のように大きく育ってねの意味を込める