安全保障の「縦」と「横」

沖縄県主催「対馬丸平和学習事業」で沖縄、奄美の子どもたちが慰霊碑に黙とうをささげた(2022年8月20日、宇検村船越海岸)

奄美と「国民保護計画」
島の宝、対馬丸、雨

   東京から奄美に移住して今月で丸3年。島のことを知らない島外の人たちに「奄美とはどんな場所か」と聞かれたら、こう答える。「亜熱帯の気候そのもので、島の子どもたちは、急に降り出す雨でも平気な様子。降ったら降ったで、仕方ないといわんばかりに傘を差さない。むしろ、『恵みの雨』のごとく受け入れ、楽しんでいるようだ」。奄美は、動植物の豊かさだけではない、自然に、環境に素直な子どもたちの存在こそが、この島の価値なのだと。

 ここ数年、奄美・南西諸島を巡る「安全保障」に関する動きが急激に活発化しているが、2022年度の「防衛白書」には、これら「南西シフト」を含む防衛戦略、その理由が「明確」に記されており、防衛省のホームページでも確認ができる。しかし、有事にならないと機能しない国民保護法、国民保護計画をはじめ、特に、離島における「住民保護」に関する課題は、国の防衛力強化に比例するかのように、課題が増えていると言わざるを得ない。想定される有事が複雑化すれば、逃げ方も同様という単純な話だ。

 戦前の奄美群島を振り返ると1944年9月、瀬戸内町古仁屋港を出港、本土に向かった疎開船「武州=ぶしゅう=丸」が撃沈され、徳之島島民ら約160人が亡くなった。その約1カ月前の8月には、那覇から長崎に向かった疎開船「対馬丸」が魚雷攻撃を受け沈没。犠牲者は約1500人。多くの遺体が宇検村の船越=ふのし=海岸、枝手久島に流れ着き、村民が救助、埋葬にあたった。共に多くの「学童」が乗船していた。  

 今も昔も、奄美群島の生命線が「シーレーン」(海上交通路)の確保にあることは、台風一つで生鮮食料品などが店から姿を消す、「平時」の今でも容易に想像ができる。しかし、行政主体で策定する国民保護計画は、今のところ自衛隊抜きの設計が基本となる。災害派遣と違い、有事の際、「本業で手いっぱい、余力があれば助けます」という姿勢だが、自衛隊の作戦行動を、県や市町村が知ることなく、独自の避難計画を策定し、奄美大島の島民約10万人をはじめ、群島全ての住人が漏れなく「逃げ切る」「身を守る」ことなど、果たして可能なのだろうか。

 奄美大島5市町村と喜界町の各防災担当に9日、以下を確認した。
   ▽国民保護計画について 全市町村が07年に国民保護法(04年施行)に基づき策定済み。のちに改定したのは、奄美市(19年8月)瀬戸内町(今年5月)、喜界町(22年11月)で、大和村が「改定予定あり」とした。

▽有事を想定した「避難実施要領」について 喜界町を除く5市町村が策定。宇検村が09年、他は全て19年8月に策定と回答した。

▽実際の図上及び避難訓練について 全市町村が未実施。今後は、奄美市が、今年1月に屋久島を想定し県庁で行われた図上訓練を基に同訓練を検討するとしたほか、瀬戸内町・鎌田愛人町長が、両訓練の実施についての意向を示しているにとどまり、全ての市町村は実質「未定」となっている。

 奄美群島の各地では、日本復帰70周年とともに、78年目の終戦記念日を迎えることから、これらを冠した各式典、行事が、既に多く催されている。そして、8月から12月にかけては、戦前を「教訓」とした、戦後の「振り返り」、「平和」に対する「祈り」がささげられるだろう。

 しかし、昨今の国際情勢を踏まえると、「平和」と合わせて説かれる命の「大切さ」「尊さ」とともに、あらゆる想定、状況に即した、命を「守る」方法を、住民一人一人が考える時代を迎えているように思える。

 国が、各行政に、有事の避難に「自助努力」を求める方針なら、各市町村が県と連携し、その限界を国に「早急」に示さなければならない。できることを明確にし、できないことを一刻も早く国に伝えなければならない。そしてそれは、自分たち大人のためではない、降ってくる雨を素直に浴びてしまう、島の子どもたちを守るためなのだと。

 島の宝に、不要な雨を、決して浴びせてはならない。                                                                            (西直人)