天城町「ユイの館」で展示中の「下原洞穴遺跡」出土の約1万7千年前の「炉跡」(剥ぎ取り資料)=5日、同町天城
崩落石の下から大量に出土した「波状条線文土器」
【徳之島】琉球列島の先史時代の「空白の1万年間を埋める発見」として注目され、日本最古級の土器など生活痕跡資料の発見が相次いでいる徳之島・天城町の「下原(したばる)洞穴遺跡」(同町西阿木名)。町教育委員会は5日、直近3年間の調査成果を公表した。約1万7千年前の奄美群島最古の「炉跡」と、火で黒化し調理・食用にしたとみられるアマミノクロウサギなどの骨も検出。さらに崩落石の下からは「波状条線文土器」(約1万年~9千年前)も多数出土した。8日、鹿児島市でシンポジウムを開き、報告する。
下原洞穴遺跡は、徳之島西岸の同町西阿木名集落から海岸方向約1㌔の琉球石灰岩の崖下に位置する。町教委は2016年3月から発掘調査を実施。琉球列島の先史時代の約2万年~7千年前にわたる1万年以上の期間は、人が暮らした痕跡が発見されない「空白の1万年間」とされてきたが、奄美群島最古とされた南島爪形文土器(約7千~6千年前)より古い地層から「波状条線文土器」が、さらに古い約1万3千年前の地層からは「隆起線文土器」も出土した。
リュウキュウイノシシやクロウサギの骨は面縄貝塚遺跡(伊仙町)などでも確認されているが、それら食料捕獲用とみられる矢じり(石鏃=せきぞく=)やその加工製作の痕跡も検出。「空白」を埋める貴重な資料の発見が続いてきた。
同町教委の具志堅亮学芸員(39)と奥彩那学芸員(27)が同町歴史民俗資料館「ユイの館」で会見した。内容は第6回調査(19年度から22年度まで3年間)における主要成果を中心に説明した。
それによると、これまで日本最古級の土器「隆起線文土器(細隆線文土器)」が出土した「Ⅳ層」(地下約130㌢~150㌢)からは、焼土と灰層を伴う「炉跡」2カ所(約1万4千年前と、1万7千年~1万6800年前=炭化物年代測定)を初検出。炉跡の中からは、クロウサぎの骨を含む小型哺乳類の動物の骨を検出。その多くは火を受けて黒色化した初のケースとなった。
具志堅学芸員らは「捕獲した小型哺乳類をこの炉内で調理し、その周辺で食事してその残渣=さ=の骨は炉内に廃棄しており、この時期からクロウサギが食用にされた痕跡を示す最古の事例」とした上で、「後期旧石器時代から縄文時代への移行期にかけた非常に古い時期から、クロウサギが捕獲、食用対象にされていたことを明確に示している」と強調した。
一方、「波状条線文土器」は、洞穴前面の斜面の崩落石(約3㍍四方)を掘削した下から約100点が出土したという。土器群の形は、創造性豊かに深鉢形や壺=つぼ=形が見られる。中には注口(中空把手)の先端がイノシシの蹄=ひづめ=を模したような形も。具志堅学芸員は「(遺跡は)落石の下も調査する必要性も改めて感じた」とも話した。
炉跡は表面の「剥ぎ取り資料」を作成して、出土遺物の一部とともにユイの館で展示中。今年度は報告書を作成し、来年度を目標に同町初の国史跡指定を申請する方針だ。
「徳之島下原洞穴遺跡シンポジウム」(天城町、同町教委主催、県考古学会後援)は、8日午前10時半から午後4時40分まで、鹿児島大学郡元キャンパス稲盛会館で開かれる。事前申し込み不要、入場無料。