大島、シード樟南に惜敗

【1回戦・樟南―大島】4回表大島無死一塁、4番・関の右越え二塁打で一走・体岡が生還、1点を返す=平和リース

 

 

奄美・古仁屋はコールド負け

 

 

 【鹿児島】第105回全国高校野球選手権記念鹿児島大会第4日は7日、鹿児島市の平和リース、鴨池市民の両球場で1回戦6試合があった。

 奄美勢は大島がシード樟南に2―4で惜敗。奄美・古仁屋はシード国分中央に0―10で五回コールド負けだった。

 第5日は8日、両球場で1回戦6試合がある。奄美勢は沖永良部が鹿児島玉龍と対戦する。

 

 =平和リース=
 ◇1回戦第2試合
大島
000110000 2
00210010X 4
樟南
【大】大野、田中―田邊
【樟】濵田―福元
▽二塁打 関(大)、濵田(樟)
(大)
33925201017
打安点振球犠盗併失残
20240652104
(樟)

 

 【評】三回裏に2点先制された大島だったが、直後の四回表、3番・体岡、4番・関が連打。関の右越え二塁打で1点を返した。その裏、一死から連続四球暴投でピンチを招き、犠飛で再び2点差となった。五回表は一死から3連打を浴びせて満塁とし、3番・体岡の犠飛で1点差に詰め寄った。七回裏は、外野からの返球が乱れ、四回に続いて無安打で1失点。終盤代打攻勢を仕掛けるも得点できず。樟南の2安打を大きく上回る9安打を放ったが、得点につなげられず、シード樟南の底力に屈した。

 

 
「やるしかない」覚悟で成長
大島・大野幸乃進投手

 樟南相手に六回を被安打1の3失点。先発の責任は十分果たせた内容だったが「チームを勝たせる投球ができなかった」悔しさの方が大きかった。

 プロ野球選手で一つ上の兄・稼頭央がつけていた背番号1を背負った。「稼頭央は稼頭央、自分は自分」。あまりに有名な兄を意識しすぎることなくマイペースで野球を続けていたが、周りから比較されることにプレッシャーは感じていないつもりでも「『稼頭央の弟』ではなく、幸乃進として覚えてもらいたい」気持ちが心の奥にはあった。

 昨秋、今春とも初戦敗退。残すは夏のみ。3年生になって「自分がやるしかない」覚悟が芽生えた。走り込み、筋力トレーニング…エース番号を背負うにふさわしい選手になる努力を惜しまなかった。

 「WBCの今永投手を参考にした」とセットで構えた際に左足を三塁方向に踏み出すクロスステップを取り入れた。両足に体重が乗りやすくなって、球威が増した。入学した頃、100㌔そこそこしかなかった直球が常速で130台を出せるようになった。

 この球威に100㌔切るスローカーブを織り交ぜた緩急で樟南打線に的を絞らせなかった。スタンドで応援していた稼頭央も思い返せば1年前、同じような投球で決勝まで勝ち上がった。「血は争えない」と実感し弟も含めた後輩たちが全力で戦う姿に「自分が逆に勇気づけられた」という。

 成長した姿は見せられたが「ボールが高めに抜けてしまったのを制御できなかった」のが悔やまれた。打たれなかった分、四球、暴投が失点につながった。投手、エースの責任を果たせたとはいえない。その悔しさを「大学でも野球を続けて、神宮で日本一に貢献できる投手になる」エネルギーにするつもりだ。
                           (政純一郎)

 =鴨池市民=
 ◇1回戦第1試合
奄美・古仁屋
   00000-0
   7102× 10
国分中央
  (5回コールド)
【奄・古】森、吉川―激川、森
【国】吉田、奥―當
▽三塁打 勝本(国)▽二塁打 東田(国)
(奄・古)
16206010032
打安点振球犠盗併失残
217101702116
(国)

 

 【評】初回、奄美・古仁屋は一死から2番・有田が左前打で出塁。3番・江上の送りバントが悪送球を誘い、4番・森は左前打で満塁と絶好の先制機を作ったが、併殺で生かせず。その裏、先発の森が7四死球と制球が安定せず、たまった走者を長打で返され、2安打で7失点と大差をつけられた。一回途中からリリーフした吉川が二回以降の大量失点は食い止めた。打線は二回以降無安打、1人の走者も出せず五回コールド負け。わずか1時間8分のスピードゲームだった。

 

 

「バトン」を次につなげたこと
奄美・古仁屋 悔しさの中に込める

【1回戦・国分中央―奄美・古仁屋】1回裏、ピンチの場面でマウンドに集まる奄美・古仁屋ナイン=鴨池市民

 

 「相手の応援にのまれた。監督の期待に応えられなくて申し訳ない」。奄美・古仁屋の森瑠憧主将は唇をかむ。7四死球で7失点。先発の責任を果たせなかった悔しさがたまらなかった。

 「応援は気にするな」。バッテリーを組む吉川翔琉は度々マウンドに足を運んで、責任感の強い主将に声をかけリラックスさせようとした。

 「何点とられてもいいから、ゲームを楽しんでこい!」

 マウンドに集まった野手陣に伝令が遊畑玄樹監督のメッセージを伝える。古仁屋の有田龍生が音頭をとり、全員で気合を入れた。2校の連合チームだがこれ以降「ずっと一つの学校でやってきたような感覚で野球がやれた」と吉川は感じた。

 森の後を受けてマウンドに立った吉川は、打たれても、エラーがあっても淡々と投げ続けた。「シード校相手に自分らしい投球ができた」と振り返った。

 奄美、古仁屋とも昨夏以降は部員不足で単独出場がかなわず、昨秋は鶴翔を加えた3校、今春は喜界も加わった4校での合同チームで県大会に出た。昨秋は鹿児島実、今春は尚志館に大差でコールド負け。日頃の練習で9人そろうことはない…それでも野球を続けられたのは「応援してくれた母のため」と森主将。どんな時でも物心両面でのサポートを惜しまなかった母・ともみさんの存在が野球を続けるモチベーションになった。吉川にとっては「野球の楽しさ」はいつも不変だった。

 この夏もシード国分中央にコールド負け。それでも「『バトン』を次の世代につなげたことに意味がある」と遊畑監督は言葉に力を込める。逆境の中でもこの1年間、出場校の中に「奄美」「古仁屋」の名前を残し続けた。「いつの日かまた単独で出られる」夢をつなぐために。
                           (政純一郎)