10集落回り 大島北高 聞き書き活動

相良さんが持参した白黒写真を興味深げにスマホに収める牧野さん(27日、和野生活館)

米軍統治下の実態触れる

 奄美市笠利町の大島北高校(松本勇二校長、生徒134人)は27日、〝地元学〟の一環として「聞き書き活動」を行った。生徒16人が5グループに分かれて同町内10集落を回り、住民に戦後の復帰運動の様子、米軍統治下の暮らしなどを聞いた。米軍のジープが集落内を走り、子どもたちが追い掛けていた話などを聞くと、生徒たちは驚きを隠さなかった。

 和野集落(61世帯、123人)を訪れたのは、いずれも2年生の牧野悠太さん(16)、窪田柚音=ゆずね=さん(16)、嘉江美夏さん(17)の3人。今年の活動が「奄美群島日本復帰70周年記念事業」として実施したこともあり、当時の様子から質問に入った。

 戦後78年、聞き取りに応じた吉田房子さん(79)、相良幸子=ゆきこ=さん(79)、浜崎才仙=さいせん=さん(75)にとっては子ども時代。父母や祖父母から聞いた話を交えて丁寧に答えていた。浜崎さんは「おじさんが密航で東京に行ったと聞いている」と話した。

 米軍統治下の質問に吉田さんは、「『信託統治絶対反対』の旗を持って運動しているのを見た」と話し、小学3年生の時にちょうちん行列も見たという。また「6年生の修学旅行は名瀬。戸口の山を歩いて越えた」と答え、生徒たちを驚かせていた。

 この頃の生活について浜崎さんは、「米のご飯は祝いの時だけ。ナリ粥=がゆ=から『とんめし』というほとんど芋ばかりのご飯になった」「米軍の幌=ほろ=付きのジープが集落を走り、ガムやあめが欲しくてはだしで追い掛けた。車体に(いたずら防止の)電気が流されていて、触れると痛かった」と実体験を話した。

 聞き取りを行った牧野さんは「祖父母から(住んでいる)赤木名の防空壕=ごう=の話は聞いたことがある。毎日が緊張感に包まれていたと話していた。戦後のことを知りたかったので、和野集落の詳しい話が聞けてよかった」と話した。

 聞き書き活動は、生徒が地元の集落のお年寄りたちから話を聞き、島の昔を知ることが狙い。同校OBで考古学者の故・中山清美氏が発足させた。生徒たちにとっては自分たちの住む地元の生活や歴史などを知る学習の一環となっている。