「あの日を語る」夕べ開催

米軍統治下時代の体験談を語る登壇者(26日、鹿児島市)

米軍統治下時代の歴史に学ぶ
ほこらしゃの会 鹿児島市で 本土在住出身者ら集う

 【鹿児島】奄美群島の日本復帰70周年を記念し、米軍による信託統治下時代の思い出などを振り返る「あの日を語る」夕べが26日、鹿児島市のキャンセビル多目的ホールであった。鹿児島市を拠点に故郷・奄美の歴史や文化を発信する活動に取り組むNPO法人「ほこらしゃの風」(義山昭夫代表)が主催し、県本土在住の奄美出身者ら約300人が集った。

 「故郷の想=おも=い出~信託統治下のわきゃ島~」と題し、奄美群島のそれぞれの島での統治下時代の体験談などを7人の登壇者が語った。秋山なほみさん(81)は奄美小6年の時に総理大臣に宛てた手紙の作文を朗読。国会議事堂の写真などに胸をときめかせ「日本に対する強い憧れ」を抱いていた少女時代を振り返った。ハンガーストライキやちょうちん行列はむしろ楽しい思い出として記憶に残っており、「その頃の友人とは今でも強い絆でつながっている」という。現在は大阪で学習塾を経営しているが、「奄美で生まれ育ったことに誇りを持ち、こういう時代だからこそ、これからの人たちに奄美で学んだことを伝えていきたい」と話した。

 姶良市在住で沖永良部2世の有川洋美さんは戦時中の疎開船を体験した祖父や父の手記を紹介。「自分のルーツやアイデンティティーを知る機会になった」。徳之島出身の永吉章さんは小学生の頃、方言でしゃべると学校で厳しく指導された思い出を語り「外国語で話しても自分の思いが伝わらないように、自分の本当の思いは『徳之島語』でないと伝えられない」と方言への愛着を語っていた。

 復帰から70年が経過し、当時を経験した人も70歳代後半から80歳以上を高齢化が進む。義山代表は「2世でも親の手記や資料を紹介する形で参加してもらった。先人の歴史に学び、人間らしい生き方を発見する機会にしてもらえれば」と話す。ジャズバンドの演奏に合わせて参加者全員で「日本復帰の歌」を合唱したほか、大島紬ファッションショーやシマ唄ライブなどで盛り上がった。