夏の鹿児島大会振り返って ~現場から~

総合力で6年ぶりの夏の甲子園を勝ち取った神村学園

強豪の強さ、際立つ
野球の質、劇的に変化

第105回全国高校野球選手権記念鹿児島大会は、第1シードの神村学園が4年ぶり6回目となる優勝で夏の甲子園への切符を手にした。今大会はシード8校のうち7校がベスト8に勝ち上がるなど、前評判の高かった強豪校が順当に進んだ。他の地方大会では、大阪桐蔭や智辯和歌山といった強豪校、春センバツを制した山梨学院や準優勝の報徳学園の敗退などがあり、全国的には「波乱」といわれているが、鹿児島については強豪校の強さが際立った大会と感じた。

「チームのために、使ってくれた監督さんの信頼、期待に応えたかった」

神村学園の背番号13・永田剛丸(面縄中卒)の言葉が印象に残っている。3回戦の松陽戦。2―1で迎えた七回裏に代打で起用され、貴重な3点目のスクイズを決めた。初戦の川内戦でもスクイズを決めたように、今大会は終盤の勝負どころが永田の「仕事場」だった。

「スタメン選手に何かあったとき、その穴を埋めるのが自分の仕事」。だから、どういう場面で仕事が回ってくるかは熟知している。試合の流れをベンチで冷静に観察しながら、いつ出番がきてもいいように心身の準備をする。

初回に先制され、その裏すぐに逆転したものの、二回以降両者追加点が奪えず、緊迫した展開が終盤まで続いた。七回表は二死一、三塁と一打同点、逆転のピンチ。三遊間に抜ける打球を三塁手・岩下がダイビングキャッチで止め、無失点で切り抜けた。「ピンチの後にチャンスあり」(小田大介監督)で迎えた千載一遇の好機に永田は起用され、見事に期待に応えた。

「度胸があって、ゴロで二遊間を抜くことも、スクイズもできる」と小田監督も全幅の信頼を置く。スタメン選手だけでなく、控え選手も含めて全員に「役割」があり、「総合力」で夏を戦っていることが理解できた。

決勝の鹿屋中央戦、延長十回タイブレークまでもつれた。表の鹿屋中央の攻撃で1点勝ち越された後、三塁強襲打を岩下が処理し、さらなる追加点を与えなかった。

良い守備は良い攻撃への流れを作る。1点ビハインドだったが、3回戦の松陽戦と同じく、勝利の流れを神村が引き寄せたように感じた。最後は岩下が自らのバットでサヨナラ3ランという劇的な展開も、やるべきことを最後までやり切った必然の結果だと思えた。

県大会6試合で失策はわずか2。投手陣は松永、今村、松元の3人に加えて、3年生左腕・黒木がこの夏ブレイクし、先発、リリーフと大車輪の活躍で投手陣の層に厚みが増した。過去のチームと比べて「力はないが、言われたことを素直に実行しようとする姿勢は歴代トップクラス」と小田監督。甲子園の初戦は立命館宇治(京都)と対戦する。京都府大会1試合平均7・6得点と高い攻撃力と得点力が持ち味のチームだ。強敵だが、県大会で見せたようにまず守備でリズムを作り、粘り強い全員野球で初戦突破を期待したい。

準優勝に終わった鹿屋中央だったが、勝負強さと安定感のある戦いぶりが光った。

準決勝では優勝候補の一角だった第2シード鹿児島城西を下した。投手が抑え、主軸が打ち、「ロースコアの展開に持ち込む」(山本信也監督)という狙い通りの展開に持ち込んでの勝利だった。相手の特徴を出させず、自分たちのストロングポイントでの勝負に持ち込む。そのための調整を万全にする。そんな姿勢が感じられた。2年生右腕・谷口の成長が著しく、力強い投球が印象に残った。近年安定して8強以上の成績を残し、4強、決勝と勝ち進むが優勝にあと一歩届いていない。「あと一歩」をどう乗り越えていくかが、今後の大きなテーマである。

鹿城西は悲願の夏の甲子園はかなえられなかったが、存在感のあるチームだった。プロ注目の主砲・明瀬、投打で活躍した池野(和泊中卒)ら経験豊富なメンバーを擁し、強力打線や小刻みな継投などこれまでの鹿児島のチームにないカラーが特徴のチームだった。

同じく4強に終わった鹿児島実は、昨秋、今春は8強だったが、集大成の夏にきっちり勝ち上がるところに伝統校らしい力強さを感じた。菅田、西、井上ら主軸の投手陣が2年生で経験を積んだ分、この秋以降の新チームでどうなるか、注目したい。

8強以上に勝ち上がったチームは、どこも複数投手制が確立していた。昨年の大島・大野(現ソフトバンク)のように1人のエースの先発、完投で勝ち上がったチームはなかった。大会期間中の休養日も増え、タイブレークも延長十回からとなり、野球の質が劇的に変化しつつある。野球人口の減少も顕著であり、強豪チームとそれ以外のチームとの「格差」が徐々に広がりつつあるのを感じる。

準決勝と決勝の間の休養日には、けが人と体調不良で棄権した連合チームのための特別試合が組まれた。部員不足や野球人口の減少を端的に物語ると同時に、こういうイベントを高野連が柔軟な発想で取り組んだことに、大きな意義を感じた出来事でもあった。
     (政純一郎)