「復帰70周年を学ぶ」講座

日本復帰への歴史を詳細に語る花井恒三さん(12日、アマホームPLAZA)

統治下の歴史深層を語る
花井さん講師

 奄美市生涯学習講座「あまみ復帰70周年を学ぶ」が12日、アマホームPLAZA(市民交流センター)であった。同講座を主宰する花井恒三さん(75)が講師を務め、終戦から米軍統治下時代、奄美群島の日本復帰までの歴史の深層に迫った。42人が受講した。 

 講座は、1950年の奄美群島政府の組織図を読み解く形で始まった。

 「中江実孝知事―笠井純一副知事の下に位置付けられた『補給部』は、当初、配給の手配をする部署と考えたが、配給は米軍が直接町村部に行っていたようで、実際の業務は判然としない」「群島政府庁舎見取り図に『警察部』という表記があり、幹部のみ庁舎に組織を構えたようだ」など、細かな分析に基づく内容となった。

 また、「ダレス声明後、米軍は奄美に使った金を日本政府に請求した。当初、国防省は返還に反対しており、(返還は)国務省と国防省の思惑がぶつかった妥協の産物。有事の際、即座に奄美を利用するとの密約もあった」と深層に迫った。

 「アメリカは奄美を民主国家にする目的があった。沖縄の補完的位置付けで、5万人の労働力を奄美に求めた」とも。

 受講した久保純一郎さん(75)は「知らないことが多かった。大きな流れは分かった。次回は『非琉球人』について深く聞いてみたい」と話した。

 郷土史の研究をしているライターの南琴乃さん(48)は「当時の経済状況や米軍の政策の変遷まで聞けた。関連施設の位置は資料がなく分からないが、通信施設などは現在のNTTの場所にあったのだろう」と、探求心をくすぐられたようだった。

 花井さんは、復帰運動を正しく伝承していくために、復帰語り部世代の継承・育成の必要性を強調して同講座を主宰。「奄美群島の日本復帰運動を伝承する会」の活動にも取り組んできた。次回開催予定の9月30日には「ダレス声明」をテーマに、トーク形式で「お互いの知ること、知らないこと」を語り合うという。