2023年夏 奄美ワンダーランドを行く カトリック教会編①

名瀬聖心教会の外観

永田市場横に建つ「カトリック教会発祥之地」の碑(伊地知正樹氏所有)

名瀬聖心教会の聖堂。穏やかな光がステンドグラスから漏れる

奄美初の宣教師・フェリエ神父の胸像

信仰の宝 フェリエ神父が奄美初上陸

 奄美大島は、多様な動植物だけでなく不思議にあふれているワンダーランドだ。この夏、癒やしのひとときを求めて西洋建築のカトリック教会を訪ね歩いた。まるで信者のようにプチ巡礼が奄美で体験できるとは思わなかった。海外旅行に行った感じもする。島内に30か所もある。教会の外観や聖堂の美しさもさることながら、米国から運ばれた祭壇や中国からのお土産がマリア観音像だったり、かつて奄美に訪れた宣教師たちが果たしてくれた役割を知って驚くばかりだった。(永二優子)

 奄美市名瀬永田市場の路地に「教会発祥之地」の碑がある。碑には「奄美大島カトリック 1891年(明治24年)12月31日 フェリエ神父此地に於て布教を開始す」と刻まれている。この碑をきっかけに名瀬聖心=みこころ=教会を訪ねた。

 フェリエ神父の胸像が出迎える。『名瀬聖心教会の今昔』によると、「1891年から16年間に4か所の教会を建立し、基礎を作った。1892年に伝えられたカトリックは同時にこの地に初めて西洋文化をもたらした。生活水準の低かった人々にカトリックは文化を高め多くの恵みを与えた。フェリエ神父は奄美の最初の使徒として名瀬聖心教会にその胸像がある」と紹介され、信者の勝久尭義氏建立碑文には「この神父が大島に来て下さらなかったら、果たして私たちは今、信仰の宝を得ることができたでしょうか」と記す。

 また、『改訂名瀬市誌民俗編』の信仰編・奄美大島におけるカトリック布教史によると、パリ・外国宣教会の奄美大島宣教状況を記した書簡を原文のまま記したもので、1922年にフランス人のハルプ神父がつづった「フェリエ神父の逸話」が残る。「95年、4・5人のアメリカ人が名瀬に来た。その中に医者がいた。役所や学校で話をしてくれるよう願ったが、役人の中に通訳ができるものがおらず、フェリエ神父に通訳を頼んだ。神父は英語は知らなかったが、通訳の名目で宗教を知らしめようと思い、一役買った。彼は立派に一芝居打ち、誰もアメリカ人の話とフェリエ神父の日本語の通訳を疑うものはなかった」と伝えている。

 名瀬聖心教会の聖堂に入るとさすがに広い。天井はさらに高い。外は暑いのに、それを感じない。1階に常設されたバンコ(長椅子・祈禱=きとう=台)だけでも300人は収容できそうな奄美一番の威厳を感じる。ステンドグラスに淡い光が差し、色とりどりに放たれる光が優しい。大理石の祭壇は、米国の聖マテオ教会から譲り受けたもの。1964年2月2日に軍艦ココダ号で名瀬聖心教会に運ばれてきた。詳しくは次回に譲る。

 聖書ではないが、文庫本を抱え、椅子に座った。はりつけのキリスト像を見る。心が穏やかになる。2年前に赴任してきた鈴木康由主任神父は、コロナ禍での状況を「ミサもできず、賛美歌はもちろん歌えなかった。まだ、賛美歌は歌えない」と話したが、大型クルーズ船が寄港するようになって、ようやく外国人が同教会を訪れるようになってきたことも紹介した。

 また、最近では島外に住んでいる信者たちが亡くなったりしていることから、特に戦前、洗礼を受けた人たちの遺族や関係者から「洗礼を受けているか」「霊名があるか」などの確認の連絡が増えているとのこと。受洗後に近くの教会への転入や転出の手続きなどがなされていない状況を知らされた。