2023年夏 奄美ワンダーランドを行く カトリック教会編③

芦花部教会の十字架と南洲神社の鳥居が並ぶ芦花部集落
芦花部教会の天井の組み板は美しい。戦前の建物として唯一残る

二つの神が並ぶ芦花部教会と南洲神社

奄美市名瀬有良から芦花部へ向かう県道81号線。芦花部集落入り口から正面に見えてくるのは十字架と鳥居だ。芦花部教会と南洲神社、二つの神様が並んでいるのは奄美だけだろう。日本だけでなく他の国に行ってもおそらくないのではないか。

『芦花部誌』(福山ゆうぎ著・1970年刊)によると、芦花部でカトリック教の伝導が始まったのは02年(明治35年)もしくは03年の頃だとされている。29年には教会が現在地に建設された。同教会は屋久杉で造られ、床の市松模様や天井の組み板の美しさは必見。しかし、軍国主義の波が荒れ狂った頃受難し、当時の三方村によって押収され、部落の集会場として利用されることになった。

戦後48年になって再びカトリック教会として復活。現在まで94年の歴史を有する芦花部教会は、「台風・火災・戦災・迫害等に耐えた奄美の教会の中で戦前の姿をほぼ原型のまま残している唯一の教会」と紹介している。聖堂内の天井の組み板の模様は他の教会には見られない美しさを醸し出す。

『奄美福音宣教100周年記念誌』『カトリック奄美100年』(1991年)には「02年、フェリエ神父が土地と家を購入。仮教会及び伝道師住居とする。03年リシャ―ル神父により聖堂完成。83年、聖堂の補修工事。91年、台風による聖堂の破損部分を修復、現在に至る」と記録されている。

一方、「南洲神社」は『芦花部南洲神社諸記録』(芦花部誌)によると、「荒廃した社の姿を見上げ、嘆いていた当時の区長・藤村政暁(旧氏名保長熊)が、意を決し再建に乗り出した。名瀬市街地をはじめ、本土各地の郷土出身者に協力を呼び掛けたところ、予想以上に寄付金が集まり、67年7月再建着工、10月に竣工、27日には祝賀会を開催した」とある。

同記録には、「祭神の由緒の項に西郷隆盛が芦花部海岸(現在の鯨浜)に大鯨漂流したる際は、地区民を指導し鯨の切り方を自ら剣をもって指示した」ことが記されている。著者の福山ゆうぎ氏は、「脇野素粒氏の著書・流魂記という本に次のように書かれている」と詳しく紹介している。

芦花部教会の掲示板に貼られたチラシには「奄美群島の十字架たちと二つの神」と題して南洲神社と教会が紹介されている。「この教会は記録によれば、29年建築。戦前の建物としてはここだけ。窓枠がサッシ化され、一種独特な枠組みの窓が見られないのが残念だが、床の市松模様の組み板はさすが、教会建築だと思われる。末永く保存されるべき建物かと思う」。写真説明には「教会と神社の鳥居が並んでいる(二つの神)。以前は教会の入り口も鳥居の側にあった」(いずれも記録者不明)。二つの神が並んでいるだけで、芦花部集落の人たちの懐深さを感じずにはいられない場所だ。